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必見!智慧得(718)「福井威夫/宗一郎さんにも秘密だった挑戦」

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宗一郎さんにも秘密だった挑戦  (福井威夫氏の経営者ブログ) :日本経済新聞

福井威夫(ふくい・たけお)1944年11月生まれ。技術者としてエンジン開発などに携わり、二輪車レース子会社のホンダレーシング(HRC)で幹部を長く務めるなどホンダスピリットが刻まれた経営者。二輪GPマシンやF1マシンを操り「世界一速い社長」と呼ばれたことも。「ホンダジェット」の事業化を決める一方、F1から撤退するなど決断の人でもある。2003年にホンダ社長。09年から取締役相談役。

福井威夫(ふくい・たけお)1944年11月生まれ。技術者としてエンジン開発などに携わり、二輪車レース子会社のホンダレーシング(HRC)で幹部を長く務めるなどホンダスピリットが刻まれた経営者。二輪GPマシンやF1マシンを操り「世界一速い社長」と呼ばれたことも。「ホンダジェット」の事業化を決める一方、F1から撤退するなど決断の人でもある。2003年にホンダ社長。09年から取締役相談役。

 ホンダは世界1過酷な自動車レースと言われる「ダカールラリー」のモト(二輪車)部門に来年、24年ぶりに再参戦することを決めた。総力をあげて強くて勝てるマシンを開発し、参戦初年度から優勝を目指す考えだ。ダカールラリーはかつて「パリ・ダカールラリー(通称パリダカ)」の名称で開催されていたが、ホンダが連戦連敗を喫し、悔しい思いをし続けていた時代があった。

 

 1983年から85年までの3年間、BMWがモト部門を3連覇。ドイツの技術力の評価が高まっていた。二輪車レース用のマシンを開発する「ホンダ・レーシング(HRC)」にいた私は、ふがいない結果を見るに見かねて、あることをもくろんだ。パリダカでは初めてとなる水冷エンジンの開発だ。

 

 それまでパリダカに参戦するマシンはホンダに限らず、すべて空冷エンジンを採用していたが、水漏れさえしっかり防げば、水冷エンジンの方がマシンの性能を高められると考えたからだ。とはいえ、砂漠を長時間走るマシンに水冷エンジンを採用するなど、頭の固い本社の承認を得られるとは到底思えない。ここは内緒でやるしかないと、こっそり予算をやりくりし、開発資金を捻出。当時としては画期的な水冷V型2気筒マシンを開発して、ワークスチームに提供した。

 1986年1月1日、第8回パリ・ダカールラリーがパリからスタートした。灼熱(しゃくねつ)のサハラ砂漠を横断し、22日にセネガルのダカール海岸のゴールで終了した。極秘に開発した新型マシンを操ったフランスホンダのワークスチームが1、2位を獲得。市販車をベースにしたマシンで参加したイタリアホンダのサテライトチームが3、5、6位だった。出走146台のうち、完走したのはわずか29台という厳しいレースで、両チーム合わせてホンダが上位をほぼ独占。タイトル奪取どころか、パリダカ史上に残る圧倒的勝利を挙げた。

 

 「あれはどういうことだ」

 

 テレビでホンダが1、2、3位を獲得したという速報が流れ、たまたまそれを見ていた本田宗一郎さんも驚きの声を上げたそうだ。HRCで秘密裏に進めていた取り組みもその時に知ったらしい。

 試合後、本田さんがHRCの朝霞市の拠点にいる技術陣を訪ねてきた。ホンダが参加するレースは年中、どこかで開催されていて、本田さんが怒るネタには事欠かなかった。後にも先にも本田さんが満面の笑みを絶やさず、会話をしてくれたのはこの時だけだろう。

 

 「アフリカでレースやってるんだって」

 

 「はい、勝ちました」

 

 「そうか、そうか」

 

 「実は、開発資金は本社に内緒で・・・」

 

 「そうか、そうか」

 

 さすがに何か言われるかと思っていたが、気にするそぶりは全くない。我々から話を聞いている間、終始、にこにこしていた。それまで負け続きだったのがよっぽど悔しかったのだろう。断トツの勝利にこだわる本田さんにようやく恩返しができた気がした。

 

 もっとも、開発資金を勝手に使って終わりだったわけではない。出走したマシンをベースにオフロードタイプの二輪車「アフリカツイン」を開発し、ホンダがパリダカを3連覇したころに発売して人気を集めた。本社にもちゃんとお返ししたことを付け加えたい。

 

福井威夫 ホンダ前社長のブログは隔週水曜日に掲載します。

    福井威夫 ホンダ前社長のブログでは、読者の皆様からのご意見、ご感想を募集しております。
こちらの投稿フォームからご意見をお寄せください。     読者からのコメント 吉備高原の変人さん、60歳代男性
パリダカマシンの開発エピソードは古い思い出がよみがえりました。私がオフロードレースの師匠と仰いでいた増田さんが、パリダカマシンの開発に参加していたと記憶しています。倉敷のバイク屋さん主催の忘年会で苦労話を聞きました。 その頃増田さんは、ホンダのオフロードレースで若手の指導が忙しい時期だったと思います。あっちこっち飛び回りながら、パリダカマシンの開発も掛け持ちしていたようですが、優勝したシリル・ヌブー選手と身長や体型が近い増田さんに合わせたセッティングが良かったのでしょうか。HONDAは、あの頃のようにエンデューロレースにワークス参加はしないのでしょうか?私は風力発電機の開発をしていますが、当時のワークスマシンの仕上がりが物作りに役立っています。排ガス規制や燃費向上等のハードルも高いと思いますが、HONDA製品に期待しています。 虎麿さん、70歳代以上男性
1、愚息に経営を譲って15年になります。 2、ときどき意見を求められますが、老害を出さないように注意しています。 50歳代男性
力学的には空冷の方が有利と思えるのですが、空冷にこだわっていたオヤジさんをどの様にときふせたのでしょうか? 知りたいところです。 松本光広さん、20歳代男性
ブログ拝読しました。ありがとうございました。現在私は理系の大学院生で、今年就活になります。私は幼少期に海外に住んでいました。周りの帰国子女の同期はもう働いているのですが、自分が自由に仕事ができないことを「会社」のせいにして愚痴を溢しています。「これだから日本の企業は〜」という風に(笑)たしかに日本の大きな企業になると、下の社員は自由に仕事をしにくいかもしれません。しかし福井様のブログを読み、「結局自分次第」なのだなと思いました。会社のせいにして思考停止するのは簡単ですが、まず自分の頭で考えて行動することの大切さを、ブログを読んで感じました。素敵なブログ、ありがとうございました。 小倉摯門さん、60歳代男性
福井さんのこのブログは、日本が「へたれ」から脱出するための貴重な示唆を多く含んでいると思います。(順不同)一つは、常識に縛られた本社組織の枠内では画期的な成果は上がらず凡庸な結果を積み上げるだけに終わる。二つは、挑戦には成果を嗅ぎ分ける健全な直感力が必須であること。健全な直感のない行為は「挑戦」と呼ぶに値しない。三つは、成果が唯一重要なのであって途中のルール違反は瑣末事にすぎない。四つは、瑣末事を咎め立てしないのがトップの度量の大きさを証明する。最も重要な五つ目は、挑戦の意図が私益や部分益ではなく全体益への貢献から発していること。若かりし頃の官僚諸氏は兎も角として、霞が関文化に染まって仕舞った「悪賢いモグラ」は全体益への成果に拘る規範意識を喪い前例を金科玉条とし挑戦と呼ぶに値しなくなって仕舞った。官僚に限らず政治家や大企業トップなどの「身分高き者」が肝に銘ずべき貴重な示唆だと思います。 natureizmさん、40歳代男性
思い出しますね、パリダカ全盛時代のホンダワークス。ライダーも多士済々で、日本に届く順位情報を見て一喜一憂していたものです。あの頃と今を比較して、時代が変わったの一言で片付けられない変化を感じます。 城後さん、30歳代男性
CVCCエンジン開発に関わる水冷、空冷議論を思い出しました。やはり勝つことが最大の喜び、本田さんの笑顔が浮かんできました。経営的にも難しい状況下とは思いますが、今後もHONDAには是非レースに参戦し続けていただきたいと改めて痛感いたしました。

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