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メモ「奥沢康正/冬虫夏草 歴史も掘り出す」

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 一口に冬虫夏草と言っても、その種類は寄生動物によっても区分され、およそ300種類程あるとされている。その中でも、現在、漢方としての製薬〜薬膳〜サプリメント材料としては、品質的に安定しているのは3種程と絞り込まれる。中国の寒い地域で自然に出来るものが最上とされてはいるも、商業ベースでは完全なレアものであり、その他ではサナギダケ系統が有力である。無菌蚕を寄生虫として栽培したものであり、一部の病院でも研究に入っているとの事を聴く。中国では最高の漢方薬として周知であり、金価格と同レベルとの事も聴いている。日本で少しづつ知名度が上昇中であるが、安く確実な治験資料も整えた体制が構築される事を祈る!

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冬虫夏草、歴史も掘り出す 昆虫に寄生するキノコを採集、古文書でも研究 奥沢康正 :日本経済新聞

冬には虫だったものが夏には草になったように見えることから、名付けられたとされる「冬虫夏草」。狭義ではチベット高原などの高地でコウモリガの幼虫に寄生する菌に限られるが、広くはセミやアリなど様々な昆虫に寄生するものを指す。眼科医の私は診療のかたわら、この不思議なキノコを採集するとともに、その歴史を文献にあたって調べてきた。

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 宿主にする虫は様々

 本格的に興味を持ったのは20年ほど前。研究者など200人以上が参加する「日本冬虫夏草の会」が山形市で開いた採集会に参加した私は、カメムシに寄生する冬虫夏草を見つけた。すると研究の第一人者である清水大典先生から「探し方がうまい」とのおほめの言葉。すっかりうれしくなり、地元の京都や大阪、兵庫などで、仲間たちとともに冬虫夏草を採集するようになった。

  2009年に京都市で見つけたアブラゼミタケ 画像の拡大

2009年に京都市で見つけたアブラゼミタケ

 京都市ではアブラゼミの幼虫を宿主とする「アブラゼミタケ」やスズメバチに寄生する「トガリスズメバチタケ」、京都府長岡京市ではカメムシを宿主とする「カメムシタケ」や地中あるいは朽木の中にいるアリの胸から伸びる「マルミアリタケ」、大阪府高槻市ではコガネムシの仲間の幼虫に寄生する「ジムシヤドリタケ」などを採集。全部で50種以上はあるとされるセミを宿主とするものを中心に、様々な冬虫夏草に出合った。

 丹波地方では比較的珍しい種類が見られる。私の仲間が京都府南丹市で採集したのが、コガネムシの幼虫に寄生する「コガネムシタンポタケ」。胞子を形成するために作る子実体(しじつたい)が山吹色をしているのが特徴だ。

 地上に顔を出した子実体を見つけて、それを掘り出す瞬間が楽しい。宿主と子実体をつなぐ、細いひものような子実柄(しじつえ)が50センチに及ぶ種類もあり、切らないように慎重に掘り出す必要がある。

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 奈良時代から薬用に

 冬虫夏草が日本で知られるようになったのはいつからか。蚕の幼虫に寄生する白疆蚕(びゃっきょうさん)の名前が、天平9年(737年)の公文書、太政官符に出てくる。「天然痘による皮膚の瘢痕(はんこん)をなくすために白疆蚕の粉末とゴマの粉を蜜で練って塗布すべし」といった内容の記述があるから、遅くとも奈良時代には薬用として使われていたようだ。

 江戸時代に入ると、現在の植物学者に当たる本草学者や医家などが冬虫夏草に興味を持つようになる。医家の曲直瀬玄朔(まなせげんさく)が寛永4年(1627年)に出版した「医学天正記」にも白疆蚕が記載されている。私が実際に見た資料は、本草学者などが植物・薬物を持ち寄る「物産会」の記録で、文化9年(1812年)に京都で開かれた際、冬虫夏草が出品されたとあった。残念ながら、どういった種類かは分からない。

 こうした調査結果をまとめ「冬虫夏草の文化誌」(石田大成社)をこのほど出版した。仲間とともに撮影した約130種の生態写真を収録するとともに、古今東西の資料で冬虫夏草がどのように扱われてきたかを紹介した。今後の研究に多少なりとも役立てばうれしい。

 冬虫夏草に限らず、大のキノコ好き。もともとは医学史研究の一つとして、医薬品に使われていた菌類について調べ始めたのがきっかけだった。「町のキノコ博士」と呼ばれた京都市立錦林小学校の元校長、吉見昭一先生と知り合い、キノコ研究の奥深さに目覚めた。

 いつしかキノコ関連の著作も増えた。1994年に自費出版したのが「きのこ童話集」。猟師を主人公にして、火縄銃の火だねに使われていたホコリタケを取り上げるなど、様々なキノコの特色に合わせた童話を創作した。

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 語源・方言の事典出版

 次が98年の「きのこの語源・方言事典」で、約400種類のキノコを取り上げた。例えばマイタケの「マイ」の語源は「見つけると踊り舞いたくなる」「傘が重なって舞っている様」などと解説した。

 同じキノコでも地域ごとに名前が異なり、ナラタケは中越地方では「あまんだれ」、信州地方では「もとあし」と呼ばれるなど177もの呼び名がある。ちなみに私が調べた中で最も長い和名は「クモノスアカゲヒナノチャワンタケ」だ。

 今回の本で冬虫夏草の研究には一区切りついたが、キノコへの興味は全く衰えていない。今後も森林浴を兼ねてのキノコ狩りは続きそうだ。(おくさわ・やすまさ=眼科医)


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