メモ「橋下徹 @t_ishin 2012年10月18日(木) 46+26 tweets その3
RT @RokiSaka: #YTV『ten』週刊朝日の橋下氏出自記事問題について、山川氏「会見で記者に問うてメディアに共通認識持たすのは無理」、住田裕子弁護士「敵を作って頑張るのはわかるが、メディアには夫々考えが有る」と言。部落や血統で差別が駄目なのって、メディア、というか国民大多数の共通認識で無いの?
posted at 21:02:51
週刊朝日の編集長から直接会って説明をしたいと申し入れがありました。僕は構いませんが、これはオープンの場でやらなければならない。先方はクローズで直接話したいと言っていますが、言論機関でここまで公で血の論理を展開した以上は、言論市場の場で議論すべきです。
posted at 21:50:39
そして週刊朝日の常識とはどう言うものなんだろう。僕に対して直接説明をしたいと言う申し入れをしながら、週刊朝日の公式ツイッターで、ハシシタの連載2回目も期待して下さい!とツイート。編集長は、僕のところへ何を説明に来ると言うのか。相手と折衝するときのマナーも知らない。
posted at 21:52:56
ABC放送キャストの大谷昭宏氏。今回の記事は評価しないとしながら、僕と論戦すれば100%論破できると豪語。僕の前に来て言って欲しい。申し訳ないが大谷氏には負けません。いったい日本の言論はどうしたのだろう。皆僕の前では論戦しようとしない。
posted at 21:55:45
大谷氏もジャーナリストを語るなら僕と直接論戦すべきだ。大谷氏は、僕が言論人に今回の記事についてコメントを求めるのはおかしい、記事の良し悪しは購読者が判断すると。それだと単なる商品市場。売れればそれで良しとなる。言論市場とは、言論と言論を闘わせて、淘汰させるもの。
posted at 21:57:34
大谷氏の論理によれば、売れれば良いと言うもの。これは言論の自由がなぜ保障されるのか、言論市場ということを全く理解していない。そう言えばどこかのテレビ局はテロップで言論紙上と書いていた。言論については言論で闘え。最終は国民が判断する。これが言論による民主国家の在り方。
posted at 21:59:23
だから今回の記事について言論人に考えを問うのは当たり前。国民は一つの意見だけではなく、様々な意見の中から取捨選択をする。言論同士のぶつかり合いがなければ言論市場にならない。大谷氏は言論市場の論理を全く無理解。また親会社の朝日新聞を非難することはおかしいと。
posted at 22:01:07
資本と編集を別個にするのが報道機関であると。まず論の前提がおかしい。今回の週刊朝日の記事は、その論の内容が問題になっているのではない。論の内容であれば様々な意見があって良い。それについて資本が介入することはあってはならない。ところが今回の週刊朝日の表現は、血の論理だ。
posted at 22:02:56
血の論理は、今の日本社会では公言できないはずだ。これは論の中身を争う土俵ではなく、完全に土俵外の反則行為。言論市場で言論を闘わせる次元ではない。言論市場に乗っけることができない表現だ。そうであれば、そこにカネを流すのはアウトだろう。不法団体に資金供与するのと同じ。
posted at 22:05:06
朝日新聞が血の論理を肯定するなら、それを堂々と公言すればいい。そして言論市場で言論闘争に晒されるべきだ。血の論理を否定するなら、そこには資金を供与すべきではない。言論を闘わせながら、淘汰させる言論市場の問題ではないのである。
posted at 22:09:02
要するに、血の論理は、言論市場の中で、その当否を論じるものかどうかである。人種差別の肯定、ナチスの肯定、民族浄化の肯定、ホロコーストの肯定は、これは許されないとういのが一定のルールだ。議論する余地なしというもの。血の論理も同じだと思っていたが、朝日新聞はこれは肯定も否定もしない。
posted at 22:11:57
また読売テレビのテンの高山記者も、メディアで共通認識を持たせようとしても無駄だと言った。血の論理は、議論の余地があると言うのか。こんなのは議論の余地なく否定だと言うのが民主国家の共通認識ではないのか。どうも高山氏も今回は何が問題なのか、全く理解していない。
posted at 22:15:07
議論の余地のあるテーマなのか、それとも議論の余地なしと言うテーマなのか。議論の余地のある言論なら、大谷氏の言うとおり資本の介入を許すべきではない。言論市場に委ねるべきだ。しかし、今回の週刊朝日の血の論理は、民主国家では公言できない表現のはずだ。そうであれば資金供与すべきではない。
posted at 22:21:23
読売テレビの高山記者も、今回の一連の問題で、メディアは共通認識を持たなくて良いと言うのか。血の論理は、メディアで報じてはならないと言うのは共通認識ではないのか。議論の余地があると言うのか。議論の余地があると言うなら、僕の前に来て、論戦し、高山氏の考えを言論市場に晒すべきだ。
posted at 22:24:31
http://t.co/a1l0EjEV http://t.co/axj5vbkS 退庁時の囲み取材は後半が週刊朝日、朝日新聞問題です。
posted at 22:29:18
本日の記者会見で、朝日新聞記者に朝日新聞社の考えを聞きましたが、週刊朝日は別会社という答えしか返ってきません。朝日新聞は血の論理、部落差別を否定しません。本日18日の記者会見の様子は、大阪市ホームページに掲載しています。http://t.co/wzuO3hZJ
posted at 22:38:28
http://t.co/4j2fhSGm 産経新聞。非常によくまとめてくれています。記者会見のビデオが長くてしんどくなった方はこちらへ。産経新聞は、かつてまさに僕の人物像を描いている記事を出した。こういうのが権力チェックだろう。
posted at 22:49:39
http://t.co/ygKyuDcT ドイツは国を挙げてナチス思想やナチスを肯定する表現を排除している。表現の自由も絶対ではない。日本における血の論理も同じだ。表現内容の当否を議論する余地などない。
posted at 23:17:46
http://t.co/ygKyuDcT 本日18日読売テレビのテンで高山記者の認識も問われる。高山記者はメディアで共通認識を持たせるのは無理と言い切った。日本における血の論理は議論の余地があると言うことだ。読売テレビも問題だ。日本のメディアはどうなっているのか。
posted at 23:20:06
読売テレビのテン、コメンテーター住田弁護士、ABC放送キャスト、二木コメンテーターなど、血の論理について議論の余地があるようなコメントは間違っている。
posted at 23:23:06
二木氏は、血の論理の言論も認めるべきだと、ケネディの「私はあなたの見解に反対だ。しかしその見解を述べる自由は認める」というフレーズを引用していた。これはおかしい。言論の自由が保障される民主国家においても、やはり議論の余地なく認められない表現はある。
posted at 23:24:30
読売テレビ、テンの住田弁護士は「色んな問題点がある。もっと議論をすべきだ。今回は橋下さんの一方的な発言だ」とコメント。血の論理については議論すべきだと言う。アメリカにおける人種差別、ヨーロッパにおけるナチス肯定表現は議論の余地なくアウトだ。http://t.co/ygKyuDcT
posted at 23:27:26
読売テレビもABC朝日放送も、もっと血の論理について勉強すべきだ。読売テレビの高山記者、角田弁護士、ABC朝日放送のキャスト二木氏。大谷氏は、言論は購読者が判断するも者で、言論人に他の言論の評価を求めることはおかしいと言明。もう日本のメディアはめちゃくちゃだ。
posted at 23:30:09
残念ながら分からないようです。議論をすべきだと言っていますから。 RT@nishijinnomiya: @t_ishin 住田弁護士に二木コメンテーターはナチスのホロコーストに通じる論理が解らないのでしょうか。
posted at 23:33:48
RT @ikedanob: 朝日の社員でもこの程度の常識がなくなったぐらい、部落問題は風化したのか… “@tabbata: 週刊朝日の河畠大四編集長は18日、「同和地区を特定するような表現など不適切な記述が複数ありました。 http://t.co/jcnuW6Dl”
posted at 23:34:18
RT @ishiitakaaki: ふるい話で花田さんには恐縮だが、マルコポーロは廃刊になった。それと同等以上の行為と認識しているのだろうか。 RT朝日新聞出版が「おわび」 週刊朝日の橋下市長連載で http://t.co/ZdOTTfbf
posted at 23:34:35
Permalink - 2012年10月18日
朝日新聞出版が「おわび」 週刊朝日の橋下市長連載で http://t.asahi.com/8g0b
『弊誌の次号で「おわび」を掲載いたします。』と出ています。
全文をコピペすると、注意警告されますので、ポイントのみ掲載です!