いいので勝手に取り込みました…ごめんなさい…友人の写真をその友人が編集しています。素人仕事ですがなかなかのものですね!(by 写真N/T?さん 編集:和泉 亮さん)
城南宮神苑 (楽水苑).mp4
毎年4月29日と11月3日に、神苑・楽水苑内の平安の庭で催される王朝時代を偲ばせる雅やかな行事。琴の音色の中、平安時代の装束を身につけた数人の歌人が庭園の遣水(やりみず)という流れに沿って座に著き、水干姿の童子が川上より鴛鴦の姿をかたどった「羽觴」に乗せて流す。歌人は和歌を一首詠み、短冊にしたため、前を流れてくる羽觴を取り盃のお酒を戴くという王朝貴族の風流な歌会である。宴の中では、白拍子の舞も披露され、さながら平安の絵巻を見るようである。曲水の宴・午後2時斎行、拝観自由。当日は、神苑楽水苑も無料公開。
下記は、「曲水の宴」の元となった中国の紹興市の蘭亭です。
日本のものに比べて、むしろ狭かった様です。寺院は見応えがありました。
王羲之たちが風流を楽しんだとされる「流觴亭」です。この「流觴亭」の脇に、「曲水流觴」(曲水の宴。人々が曲水の両側に座り、清流に流された酒盃が自分の前で止まったら、即興で歌を詠むという宴会)を行った小川があります。因みに、「觴」という字は、「古代の杯(さかずき)」を意味します。
ここが、蘭亭の中心部なんでしょうね。
「曲水流觴」の跡です。見ての通り、幅の狭い清流が曲がりくねって流れていて、これなら、あちらこちらで杯が石に引っかかって止まりそうです。ある本では、「曲水流觴」について、「杯が自分の前を通るまでに歌が詠めないとその杯を飲まなくてはならない」と解釈していることもありますが、それは、学生のコンパの「のり」、いわゆる「一気飲み」です。
そうではなくて、杯が止まったら詠むのです。しかも即興で詠むのです。
杯が清流をゆったりと流れ、時々杯が石で止まる。そこで即興で歌を詠む。風流な世界が目に浮かびませんか?