中国では、今生きている50数歳〜60数歳の男女、それも特にエリート学生達は、全て「下放政策」に従って地方に流された青春時代を過ごしています。一定期間を過ぎれば戻って来ているのですが、その経験たるや想像を絶するモノがあると思います。
習近平氏も例外でなく、モンゴルに赴いています。先ほどTVでの報道では、岩をくりぬいた住居(洞穴状の小部屋)に住居していたとのことです。その後、北京の名門大学に学んでいるのですが、日本の感覚では、数年はずれていたのでしょう。この時代のことは、親しくしている中国の同年輩でも、とても話題にするにははばかられます。中国には、軍隊は志願制であり徴兵が無いので、韓国の徴兵制(2〜3年/現在は2年?)を若干長くしたものかとも思います。 帰って来てからの学習慣習回復は大変だったと想像出来ます。
その後、地方官吏からスタートしての出世です。このあたりは、各都市の市長等も国選での任命であり、丁度、明治時代の日本の政治体制に良く似ています。そして、着実にエリートを養成して行く国家体制は見事ではあります。今回も問題/課題としている「人間の品格/規制遵守態度」が必要です。権力が出来、豊かになって行くと「汚職」が蔓延します。もともと中国的な感覚では、台湾でも同様ですが、「捷い」奴は商売人/賞賛すべきビジネスマン、との認識があります。(この「はしこい」中に、賄も含みます:商売の仕入れルートの構造にリベート体系が組み込まれてしまいます)
貧富の差が大きくなるのは当たり前の体制であり、今から、大昔の律令国家の如き厳しい法治体制が敷かれて行くことでしょう。(未だに、相続税制度はありません)それらが相当に整備されてこそ、次の時代:選挙による政治家選出に入って行けることでしょう。
アングル:習近平氏、「試練」経たエリートが中国最高指導者に | Reuters
[北京 8日 ロイター] 元副首相を父に持つエリート家庭で生まれ、文化大革命の混乱の中で成人した中国の次期最高指導者、習近平・国家副主席(59)。普段はダークスーツに身を包み、共産党指導者たちの特徴とも言える「鉄仮面」をかぶる習氏だが、3年前に訪れたメキシコでは、その素顔を垣間見せていた。
「世界的な金融不安の中、中国は依然として13億人を食べさせるという課題を解決できている。それ自体が、人類にとって最大の貢献だ」。外国からの中国批判に激しく反論して見せたこのコメントには、中国のインターネットユーザーから瞬く間に称賛の声が上がった。
習氏はさらに「腹がふくれ、やることのなくなった外国人がわれわれを非難している」と続け、「第1に中国は革命を輸出しない。第2に飢餓や貧困を輸出しない。第3にあなた方(外国人)に迷惑をかけない。これ以上何を言うことがあるのか」と言い切った。
8日に北京の人民大会堂で開幕した第18回共産党大会。会場の最前列に陣取る習氏は、再び仮面をかぶることになり、そこで胡錦濤・国家主席から党総書記のポストを引き継ぐ。
習仲勲元副首相を父に持つ「太子党」の習氏は、党幹部に囲まれた環境で育った。しかし、文化大革命前に父が全職務を解任され、習氏自身は貧困にあえぐ農村部で数年間暮らした。父の復権がかなった後になって大学に進学し、権力の座への道を歩み始めた。
慎重な改革派と評される習氏は、中国が進める経済改革の最前線である福建省や浙江省で要職を歴任。胡氏の後継者候補として名前が挙がるようになった。
<下放された青年期>
有名歌手と結婚し、上海市党委書記の座にも就いた習氏。控えめでありながらも、ある時は強気に臨む政治スタイルを備え、党の専門用語が並んだ当局者の演説を批判し、分かりやすさを求めたこともあった。
今年9月には、何の説明もないまま2週間にわたって姿を消し、中国国民や海外の経済界に動揺を与えた。当時は重病説も流れ、指導部交代に問題が生じたなどとする憶測さえ広まった。この件に関して複数の関係筋は、習氏が水泳中に背中を負傷し、医師の指示に従って療養していたと明かした。
陝西省出身の習氏は、文化大革命(1966─76年)の混乱期に下放された同省の農村部でキャリアをスタートさせ、地元自治体の役人の職に就いた。胡氏らも卒業したエリート校、北京の清華大学では化学工学を学んだ。後に同大学でマルクス主義理論も学び、博士号を取得している。
習氏が名声を得たのは1980年代初頭、河北省正定県の党委員会トップに就いた時だった。習氏は指導部が住む中南海への立ち入りが許され、胡耀邦・党主席(当時)との面会も可能だった。
1999年8月には福建省長に昇進。2007年3月には巨額汚職事件で陳良宇氏が逮捕されたことを受け、その後任として上海市党委書記に抜擢された。そして同年10月に政治局常務委員入りを果たした。
習氏の妻で歌手の彭麗媛氏は、かつては夫より間違いなく人気があったが、習氏の昇進に伴い、党から表舞台に出ないよう命じられたという。
(原文執筆:Ben Blanchard記者、翻訳:野村宏之、編集:宮井伸明)
習 近平(しゅう きんぺい、シー・ジンピン、1953年6月1日 - )は中華人民共和国の政治家。中華人民共和国副主席、中華人民共和国中央軍事委員会副主席、第17期中国共産党中央政治局常務委員、中国共産党中央書記処第一書記、中国共産党中央軍事委員会副主席、中国共産党中央党校校長。党内序列第6位[1]。太子党のひとりで、父は習仲勲(元国務院副総理)。中国の最高指導者である胡錦濤の後継者に事実上確定している人物である。