今年のノーベル賞を受賞する山中伸弥京都大学教授のiPS細胞は、医療の姿を大きく変える力を持つ。うまく使いこなせば、画期的な新薬を効率よく創ることができる。再生医療によって不治の病にも光明が差す。「iPS医療」実現に向けた動きが急ピッチだ。
iPS細胞を使った創薬研究をする大日本住友製薬大阪研究所(大阪市)
心臓の拍動再現
1ミリ角の小さなガラスチップ。顕微鏡で見るとiPS細胞から作った1000個の心筋細胞が連係してリズムよく動いている。命を落とすこともある不整脈が起きるかどうかを調べるため「心臓の拍動」を再現した。
薬の副作用をみる検査装置を開発したのは東京医科歯科大学の安田賢二教授ら。米マサチューセッツ州ケンブリッジで12月に開催予定の国際会議で、ファイザー、アストラゼネカといった欧米製薬大手の研究者や米食品医薬品局(FDA)関係者らを前に披露する。安田教授は「早く製品にし創薬プロセスを効率化したい」と意気込む。
第一三共がいち早く着目した。人に投与した際の不整脈の有無がわかっている23種類の薬で試した。正解率は100%。研究開発本部安全性研究所の三分一所厚司主席は「不整脈リスクを高い精度で予想できることがわかった」と評価する。
1つの薬を生み出すには候補物質のスクリーニング(探索)から製品化まで十数年の時間と数百億円の研究開発費がかかる。とくに安全性や有効性を人でみる臨床試験(治験)の負担が大きく、治験に入ってから副作用が見つかれば、開発中止に追い込まれて大きな痛手だ。日本製薬工業協会などによると、10年前に1万分の1だった新薬開発の成功率が今は3万分の1にまで下がった。
「iPS細胞を使って治験後の成功率を2倍にする」。大日本住友製薬がこんな目標を掲げた。iPS細胞から作った心筋細胞や肝臓細胞で候補物質の毒性を把握しておくと、探索もスムーズにいく。動物実験も簡単になるかもしれない。
新薬開発の効率化でiPS細胞の活用を探る動きはすでに出始めている。国内初のiPS細胞ベンチャーのリプロセル(横浜市)は今春、肝臓への毒性が判別できるiPS肝細胞を発売、国内製薬大手など数社に供給した。山中教授も「iPS細胞はまず創薬利用で進むだろう」とみている。
法整備欠かせず
難病や希少疾患の治療薬開発でもiPS細胞への期待は大きい。患者からiPS細胞を作製し研究すれば、病気の仕組みが解明できるからだ。
エーザイは主力のアルツハイマー治療薬「アリセプト」の次を狙う。人の神経細胞を使って認知症を再現できるのはiPS細胞だけ。「そこに創薬革命の可能性がある」(塚原克平執行役員)。今夏、慶応大学と100歳超の長寿者からiPS細胞を作ったと発表した。
武田薬品工業はiPS細胞研究に関する専門チームを設置。精神疾患などを主要テーマにあげる。大日本住友製薬は京都大と5年計画で共同研究に取り組む。筋肉や骨に異常が出る希少疾患の新薬候補の探索を急ぐ。
ただ、どんな難病も原因が複雑に絡み合う。進行具合には個人差もある。iPS細胞でどこまで迫れるかは未知数だ。
製薬各社のiPS研究を軌道に乗せるには新薬の新たな審査基準の整備もいる。今の薬事法ではiPS細胞で薬効や安全性を証明しても、新薬承認のデータとしては認められない。改正に向け議論がようやく始まった。
アステラス製薬の河畑茂樹・分子医学研究所長は「各社はiPS細胞の使い方を決めかねている。良い使用法を思いついた企業が新薬開発で優位に立つ」と予測する。
「スパコン「京」本格始動 防災や創薬 多分野で期待」:イザ!
■「世界 アッと言わせたい」
日本が誇るスーパーコンピューター「京10+ 件」が28日午後、神戸市の理化学研究所で本格運転を始めた。地震や津波の被害予測、新薬開発や天気予報の精度向上など幅広い分野で成果が期待され、研究機関だけではなく自動車メーカーなども利用。理研の平尾公彦計算科学研究機構長は「成果でも世界をアッと言わせたい」と話す。
心臓病の治療法や、ポリオ(小児まひ)を起こすウイルス感染の分子レベルでの解明、ニュートリノの研究につながる星の爆発メカニズムなど、国が画期的な成果を見込んでいる7つの課題に優先的に京10+ 件の計算能力を割り振る。自動車メーカー各社共同で実施する車の衝突実験など公募で選ばれた研究を含め、活用されるのは計93件の課題。
理研の基幹研究所の杉田有治主任研究員のグループは、細胞をつくるタンパク質のどの部分が薬に反応しやすいかを調べるため、細胞内のタンパク質の動きをシミュレーションする。将来的に効果的な薬の開発につなげることが目標。
京は理研と富士通が約1100億円かけて開発し、世界で初めて毎秒1京回(京は兆の1万倍)を超える計算速度を達成。6月末に完成後、機器のチェックを兼ねて試験的に使っていた。スパコン性能の世界ランキングで2回連続世界一を獲得したが、今年6月には米国のスパコン10+ 件に抜かれ2位に転落。理研は「京を使えば新薬開発の研究時間を半分以下に短縮できるものもある。国内産業の技術力や競争力強化につながってほしい」としている。