【麻倉怜士CES報告10】ソニー 平井一夫社長は絶対に改革すると、筆者は見た - 家電・PC - Tech-On!
ソニー 社長 兼 最高経営責任者(CEO)の平井一夫氏のラウンドテーブルでの質疑応答を聞いていて、「この男はやる」と、筆者は思った。平井氏は2012年4月就任直後に“ワン・ソニー”を打ち出し、人事とCFO以外の各事業体のトップを、米国以外は総入れ替えした。これは正しい。改革はまず人事からである。
「ソニー改革という、これから進むべき夢を共有できる人に担当してもらいました。彼らは担当部門の利益責任を背負っているわけですが、それに加えて毎週、その技術・製品がソニー全体にどう貢献するかの視点で議論を戦わせています。私はまた『ソニーは危機的な状況にある』と、世界の事業所に足を運び、私の言葉で語り、一体感を作ろうとしてきました。その努力がここに来てフィードバックされてきたことを感じます。社員にもだんだん、ワン・ソニーとしてトップ・マネジメントが同じ方向に進んでいることが理解されてきました」。
象徴的なエピソードが、今回の記者会見では、お決まりのハリウッドスターや歌手がいなかったことだ。会見に花を添えるのが恒例だったが、「やめさせました。なんでエレクトロニクスのショーなのに歌手がいるのか」。確かにそうだ。ソニー・グループはエンターテイメントまで手を出していることを、スターの存在でアピールしてきたが、それは邪道だ。平井氏は「ものづくりを徹底する」ことを、CESで強烈に訴えた。「あとは結果を出すしかない」(平井氏)。
【麻倉怜士CES報告9】ソニー、平井社長直轄で「ライフスタイルを変える商品」開発中 - 家電・PC - Tech-On!
ソニーが開発した4K×2Kの56型有機ELディスプレイ
ソニー 社長 兼 最高経営責任者(CEO)の平井一夫氏は、日本人記者とのラウンドテーブルでの質問、興味深い答えをした。「社長になって、ソニーらしい部分とは何か」との質問に対して、三つの注目分野、商品を挙げた。
「一つは4K×2Kの有機EL。音と画質にこだわってきたソニーのものづくりの集大成です。ソニーのDNAが詰まっています。二つ目は組織の壁を壊して作ったスマートフォン。『Xperia Z』は、その第一弾です。今後、もっともっと研ぎ澄まされるものを期待しています。三つ目はデジタル・カメラの『RX1』。フルサイズ・センサの搭載機。センサ、レンズ、カメラも自分で作る、摺り合わせの産物です。ほとんど手作りで、企画担当者が『フルフレームをやりたい』と、潰されないように黙ってやったというのも、とてもソニー的じゃありませんか」。
今、平井社長の直接の傘下プロジェクトとして、「ウォークマン」のような意味でライフスタイルを変えるであろう、画期的な製品を五つ走らせているという。「私が独断と偏見で選んだ有望商品です。開発に2年もかかるというから、『いや、来年のCESに出す勢いで迅速にやれ』と言いました。失敗しても良いじゃないですか。私は音楽産業出身ですが、レコードでも新人10人のうち当たるのは一人です。リスクを取ってやろうと、決めました」。
個人的な独断と偏見こそ、ソニーの発展の原動力。ウォークマンだって、元会長の井深大氏の「飛行機の中で音楽を聴きたい」という個人的な欲求から作られたものだ。平井社長の夢に期待したい。「いかにしてソニーを、好奇心を刺激し、感動をもたらす会社にするか。そこからサービス、ものを作っていく。CESでは『BE MOVED(感動!)』のタグラインを展開しています」と平井社長は結んだ。
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生誕 1960年12月22日東京都 出身校 国際基督教大学
(教養学部) 職業 ソニー株式会社
(代表執行役社長兼CEO)
ソニー・コンピュータエンタテインメント
(非常勤取締役)
北米での居住歴が長く、流暢な英語を話す。銀行員だった父親の海外赴任に伴って、幼少期からアメリカやカナダなどの海外と日本とを往復する生活をしていた。日本の小学校にはほとんど通っておらず、中学3年の時にカナダから帰国した際にはアメリカンスクールに入学、その後にまた家族とアメリカに転居することになる。しかし、これまでの暮らしに対する反動から「日本の大学に行き、日本の会社に行き、日本人として歩みたい」との思いを抱き、大学進学のために日本の親戚宅に単身で帰国し、アメリカンスクール復学を経て国際基督教大学に進学した。
1984年に大学を卒業し、CBS・ソニー(後のソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。1995年5月、当時ソニー・ミュージックエンタテインメントとソニー・コンピュータエンタテインメント (SCEI) で代表取締役副社長だった丸山茂雄に頼まれて、プレイステーションの北米発売業務に参加。SCEIの北米法人 Sony Computer Entertainment America (SCEA) に出向となり、SCEA上級副社長兼最高執行責任者 (COO)、SCEI執行役員、SCEA社長兼COOを歴任した後、2000年からSCEAに転籍し[2]2003年にSCEA社長兼最高経営責任者(CEO) 、2006年にSCEIコーポレート・エグゼクティブ グループEVP(エグゼクティブ・バイスプレジデント)に就任。2006年12月、SCEIの代表取締役グループCEOだった久夛良木健の要請とソニーのハワード・ストリンガー会長の後押しを受け[2]、SCEI代表取締役社長兼グループCOOに就き、2007年6月19日には名誉会長に退いた久夛良木に代わりSCEIグループCEOに昇任しSCEIのトップとなった。
2009年4月からは、SCEIの役職と兼任する形でソニーの執行役EVPに就任し、自身初となるソニー本体での職歴をスタートさせる。SCEIの事業も含まれる「ネットワークプロダクツ&サービスグループ」担当として、ソニーグループ全体のネットワーク商品事業を統括。2011年4月より代表権を持つ執行役副社長に就任し、同時にソニーの組織変更に合わせ「コンスーマープロダクツ&サービスグループ」担当として、ネットワーク関連に加えてテレビやデジタルカメラ等も含めた家電事業全般を統括した。2011年9月にはSCEIの社長兼グループCEOを退いてSCEI代表取締役会長となった。2012年4月には、ストリンガーの後任として、ソニーの代表執行役社長に就任した。6月27日の株主総会で取締役に選出された。
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