関東大震災時は1ヶ月で発足した復興院ですが、今回の復興庁は11ヶ月も経過しています。遅いなら遅いなりのメリットが出ればと思いたいものです。法律でがんじがらめの行政ですが、この点を縦割り弊害をなくす決断即決で解決して行く機構のはずです。
若干の懸念は、青山繁晴氏が福島原発取材見学を敢行した時に、行政官として圧力をかけた張本人だからです。(関西8chアンカーでの報道)
「よらしむべし、しらしむべからず」(最近の解釈上の意味で)とならないことを祈ります!オープンな議論を活発にして行って欲しいものですね。
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初代復興相:平野達男
平野 たつお
昭和29年5月2日 岩手県北上市出身
本省、直轄土地改良事業所勤務を経て 平成6年 岩手県農地建設課長 平成7年 岩手県農地計画課長 平成9年 関東農政局設計課長 平成11年 構造改善局 設計課国営事業調査官 平成12年 農林水産省農村振興局 設計課技術調査官
在職中 東京大学農学部非常勤講師
岩手大学農学部大学院非常勤講師を歴任 平成13年3月 農林水産省退職 平成13年7月 第19回参議院議員選挙岩手選挙区より初当選(自由党) 平成19年7月 第21回参議院議員選挙岩手選挙区より再選(民主党) 平成22年9月 内閣府副大臣(国家戦略等担当) 平成23年7月 東日本大震災復興対策担当・内閣府特命担当大臣(防災) 平成23年9月 東日本大震災復興対策担当・内閣府特命担当大臣(防災)
留任 平成24年1月 東日本大震災復興対策担当・内閣府特命担当大臣(防災)
留任 平成24年2月 復興大臣
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明治初めの西南戦争。国内最後の内戦は、薩摩軍を率いた西郷隆盛の自決で幕を閉じたが、新たな闘いが続いた。凱旋した政府軍兵士 :日本経済新聞
明治初めの西南戦争。国内最後の内戦は、薩摩軍を率いた西郷隆盛の自決で幕を閉じたが、新たな闘いが続いた。凱旋した政府軍兵士にまん延したコレラだ。猛威をふるう疫病。その闘いの中に、ひとりの若い医師がいた。後藤新平だ。
▼後に大物政治家として知られる後藤は、若いころに西洋医学を学んだ。西南戦争ではコレラとの闘いで地獄をみた。その体験から、なにより予防を重んじ、病が起きたら迅速な対処が大切として「健康警察医官」の創設まで提言した。日清戦争では疫病のまん延を防ごうと、帰還兵への大がかりな検疫に奮闘した。
▼恐らく、こんな経験が行動を促したのだろう。関東大震災の直後、内相の後藤は東京大改造構想を唱え、わずか1カ月弱で帝都復興院を立ち上げた。自ら総裁になった。「計画が一日遅れれば、実行は百日遅れる」との焦り。そして「後世の子孫に再び同一の惨禍に遭遇させる危険」を防ごうという思いがあった。
▼東日本大震災から11カ月。復興庁がきょう発足する。帝都復興院と比べてあまりに遅かったが、より重要なのは子孫のため、どんな実績を残すかだ。後藤の壮大な構想は財政不足や内閣総辞職でとんざしたものの、都内には昭和通りなど主要幹線、避難場所となる隅田公園など、その片りんはいまも残る。
中日新聞:復興庁が発足、初代担当相に平野氏 :政治(CHUNICHI Web)
東日本大震災の復興行政の司令塔となる復興庁が10日発足し、業務を始めた。野田佳彦首相は同日午前、復興対策担当相から横滑りした平野達男初代復興相に辞令を交付した。平野氏はその後の記者会見で「復旧、復興をとにかく早く進める。その先頭に立つ」と述べた。
首相と平野氏は同日昼、東京・赤坂の民間ビル内に設けた復興庁本庁で看板かけの行事に出る。夕方にはそれぞれが記者会見し、被災地復興に向けた今後の政府の取り組みなどを説明する。
復興庁は被災地の要望を一元的に受け付け、復興事業を総合調整する。復興特区の認定や復興交付金の配分などを担う。設置期限は2021年3月末まで。
常勤職員は約250人。出先機関として盛岡、仙台、福島の各市に復興局を設けた。岩手、宮城、福島の各県に計6カ所の支所、青森県八戸市と水戸市にも事務所を置いた。
平野氏が兼務していた防災担当相への就任が決まっている中川正春前文部科学相は10日夜の認証式を経て、正式に就任する。
東日本大震災の復興事業の司令塔になる復興庁が10日、ようやく発足する。震災から11カ月がたち、被災地では仮設住宅の整備や道路などのインフラの復旧はおおむね終了した。原発事故の警戒区域などを除くと、復旧から復興に移る段階を迎えている。
復興庁はトップの首相のもとに復興大臣と2人の副大臣を置く。各省庁の施策を総合調整し、国の一元的な窓口として復興特区の認定や交付金の配分などを担う。設置期限は2020年度までだ。
各省庁の縦割り行政を避けるためにも復興庁のような組織は必要だ。復興庁は他の府省に円滑な事業推進を促す勧告権をもつが、被災地には「屋上屋になるのでは」と懸念する声もある。
復興庁が機能するためには岩手、宮城、福島に設ける復興局を単なる窓口にするのではなく、現場で物事を決められるように権限を移す必要がある。各省庁も縄張り意識を捨てて協力すべきだ。
その試金石となるのが土地利用手続きの緩和や立地企業への税制優遇を柱とする復興特区の認定作業だろう。すでに宮城県の「民間投資促進特区」や岩手県の「保健・医療・福祉特区」が認められた。申請から2週間程度で認定した点はとりあえず評価したい。
ただし、これまで自治体から出ている提案は法令で示しているメニューに沿った内容だ。今後、住宅の高台移転や企業立地が本格化すれば、新たな規制緩和を求める動きが出てくる。各省庁は規制を緩められない理由を探すのではなく、柔軟に対応してほしい。
自治体が進める事業に充てる復興交付金の配分も始まる。緊急性が高い事業から認めるのは当然だが、あらかじめ例示している40事業に使い道を限るという姿勢では被災地の要望に応えられない。
政府の復興関連予算はすでに19兆円近くに上る。復興庁は今後、復興予算を一括要求する役目も担う。優先度を見極め、緊急度や必要性が低い事業が紛れ込まないように監視する役割も求めたい。