支倉常長一行でヨーロッパに残った方々がいた事は初めて知りました。帰国の一行は、残念ながらキリスト教禁止の時代入りしており、皆殉職したようです/支倉常長 - Wikipedia …あの時代に、太平洋大西洋を横断しています。今なら大英雄でしょう!
支倉常長の西洋式の紋章は盾の中に卍をあしらったものだった。左はローマ市民権の認定の中に描かれた紋章、中はドイツの記録に残る紋章、右は常長の船の旗
= 2012年は支倉常長没後390年 =
セビーヤ市から南西約10㎞に位置するコリア・デル・リオは、意外にも日本と深いつながりを持っています。スペイン語で“日本”のことを“ハポン”と言いますが、コリア・デル・リオにはハポン(=日本)の姓を持つスペイン人が約600人も住んでいるのです!今を遡ること約400年前、仙台藩主伊達政宗が支倉常長ら一行をスペインへと派遣しました(=慶長遣欧使節団)。セビーヤに入港した一行の一部は、その後日本へは戻らず、セビーヤから程近い漁師の町コリア・デル・リオに住み着き、その子孫によってハポン姓が受け継がれています。コリア・デル・リオの文化センターを訪ねると、使節団に関する資料や、日本との友好関係を表す展示物が見られます。また、町の小さな公園には、鳥居を背後にグアダルキビル川に向かって立つ支倉常長の銅像があります。来年2012年は支倉常長没後390年。遠い外交のロマンに想いを馳せながらセビーヤからちょっと足を延ばしたら、ハポンさんに偶然出会えるかもしれません。
《アクセス
セビーヤ市内からバスが1 時間毎に1 本運行(月〜土)。タクシーで約20ユーロ
情報提供:スペイン政府観光局
Poto:(c)coriadia.es
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