イーココロ!に登録中の約140のNGO/NPOによるニュースはこちら!国際問題、環境、日本の問題に取り組む様々な団体の最新情報が読めます。 bit.ly/GGFcDn
上記の一つです…「金儲け」第1義ではない「新しき意識で築く組織」活躍する日本人多数!!!Vol.18 ジュエリーは人と人をつなぐもの。エシカル・ジュエリーで悲しむ人を減らしたい。
白木 夏子/株式会社HASUNA 代表取締役
事業を通じて社会の課題解決のために貢献したい。こう考え行動する若者が増えている。いわゆる社会起業家だ。今年、また一人想いの強い若者が立ち上がった。「エシカル・ジュエリー」を通じて搾取や貧困の現実をなくしていきたいと事業を立ち上げた、白木夏子さんだ。「エシカル・ジュエリー」、聞き慣れない言葉だろう。でも、彼女の登場でこの言葉が一般化するのもそう遠い日ではないかもしれない。
イーココロ!
【ピース・インタビュー】イーココロ!には話題のチェンジ・メーカーへのインタビューも掲載中。株式会社HASUNAの白木さんインタビューはこちら!「ジュエリーは人と人をつなぐもの。エシカル・ジュエリーで悲しむ人を減らしたい。」 bit.ly/y7YpgX
株式会社HASUNA 白木夏子さんインタビュー − ジュエリーは人と人をつなぐもの。エシカル・ジュエリーで悲しむ人を減らしたい。
■プロフィール
1981年鹿児島生まれ、愛知育ち。2002年から英ロンドン大学キングスカレッジにて、発展途上国の開発について学ぶ。卒業後は国連人口基金ベトナム・ハノイ事務所とアジア開発銀行研究所にてインターンを経験し、投資ファンド事業会社を経て2009年4月HASUNA Co.,Ltd.設立。同社代表取締役就任。 現在、Ethical(環境や社会に配慮をした)なジュエリーブランドを中心とした事業を展開。
――現在取り組んでいる事業内容について簡単にご紹介頂けますか。
エシカル・ジュエリーを制作・販売するHASUNAという会社を経営しています。エシカルとは日本語では倫理的なという訳になりますが、環境や社会に配慮した素材を使ったジュエリーを、エシカル・ジュエリーと呼んでいます。紛争や搾取の結果得られた原石を使わないことや、金・プラチナをリサイクルして使ったり、フェアトレードで仕入れた素材を使用して商品を制作しています。日本でも雑誌などでエシカル・ファッションについて紹介される機会が増えてきましたが、私は、このようなコンフリクトフリーで児童労働もしていない素材を仕入れ、デザインし、販売を行っています。
――エシカル・ジュエリーのことは、どこで知ったのですか。
約2年前、ジュエリーで何か出来ないかと考えていて、アメリカやイギリスのウェブサイトを検索していたら、エシカル・ジュエリーという考えのもと、コンフリクトフリーのジュエリーや、ジュエリーをリサイクルして販売している会社があることを知りました。「これだ!」と思い、私も始めました。
18歳、私が短大生だった頃です。フォトジャーナリストの桃井和馬さんが、大学に講演にいらっしゃったのですが、彼のお話や写真を見て、飢餓や貧困、森林破壊などの問題がこの世界にはあるということを初めてちゃんと知り、衝撃を受けました。桃井さんの講演がきっかけで、私も将来何かしたいと思い始めました。
あと、戦争体験者だった祖父から、戦争のことをよく聞かされていたことも原点にはあると思います。祖父からは「戦争は起こしちゃいけない」と繰り返し言われました。
――短大卒業後は、イギリスに留学したんですよね。
はい。問題解決のために、何かしたいと思っていましたので、開発学を勉強しようとイギリスの大学に留学しました。1年目の夏に貧困の現実を見に行こうと、インドの南部、タミル・ナードゥ州に行き、2ヶ月間、被差別部落の人々と一緒に生活しました。被差別部落で彼らがどうやって日々生活しているのか知るために住みました。
――たった一人でその村で暮らしたんですよね。不安はなかったですか。例えばどんなところに寝泊まりしていたんですか。
不安はあまりなかったです。住んでいたのは村の村長の家などで、掘っ立て小屋のようなところです。私が住んでいた村の人々は、ダリットと呼ばれる人々で、インドのカースト制度にも入っていない、不可触賤民(アンタッチャブル)と差別される人々でした。
滞在中、農業奴隷として過酷な生活をしている人達や、牛を育てて生計を立てている人達と出会いましたが、最も生活レベルが低い暮らしをしていると感じたのは、大理石や鉱物の採掘をしている人達でした。 大理石は冨の象徴とも言える石ですが、大理石を手に入れる裏には、こんなに搾取されている人達が存在していることを知り、「なんて不平等な社会なんだろう」と感じました。
――インドでの体験、そしてその後、大学での開発学の勉強を終え、どこで働き始めたんですか。
NGOで働くのもいいけど、社会基盤そのものを変えていかなければいけないと感じていましたので、国連や世界銀行などの大きな組織で働こうと考えていました。そこで、国連 のインターンに応募して、ベトナムのハノイで半年ほど国連人口基金などで働きました。
はいそうです。無償でした(笑)。そうですね、社会問題を解決することに情熱を燃やして尽力されている方もいらっしゃり、非常に勉強になりました。その反面、自分のキャリアのことしか考えていなかったり、「援助をする人」と「援助を受け取る人」の図式が頭の中でできてしまっている方もいたりして、疑問を覚えることもありました。
そこで、本当にこのまま国連などの機関で自分が活躍することで、本当にこの世界は変わるんだろうか、という疑問が胸に湧きました。自分の力を生かす場所はもっと他にあるのではないかと考えました。 そして出した答えは、この社会はやはりお金で動いているから、お金のことを知り、ビジネスを通じて社会を変えようということでした。途上国の人たちと、肩を並べて一緒にこの世界を変えていきたいと思いました。 そして2006年2月に、まずはビジネスを実践を通じて勉強しようと、日本に帰国しました。
――お金やビジネスの勉強のために選んだ就職先はどこだったんですか。
経営のことが勉強できる、お金のことが勉強できるという視点で会社を探し、選んだのが不動産投資ファンドでした。2006年4月から2008年12月まで勤務しました。
――実際に、その不動産投資ファンドではビジネスのことを学べましたか。
はい。投資家たちが何を考え投資をして、どのようなリターンを得ているのかなど、一連のビジネスの流れを知ることができました。また、最初の1年半はファンドの立ち上げの仕事を担当していたので、ほとんど会社の立ち上げと同じような状況でした。だから忙しくて、24時間365日、休みなく働いていたようなものですが、いい勉強になりました。
――そんなに忙しかったんですか。例えばどんな働き方をしていたんですか。
午前2時か3時まで仕事をして、タクシーで帰宅。始発で会社に行き、金曜日は夜通し徹夜で仕事をして、翌朝10時とか11時までは働いていました。家で、気を失うようなことが何度もありました(笑)。
――大変でしたね。その会社を、2008年12月に辞め、2009年4月には、会社を作ったんですよね。エシカル・ジュエリーを事業に選んだのはいつだったんですか。
不動産投資ファンドの会社では、最初の1年半は忙しく働いていましたが、途中でバックオフィスの仕事に移り、会計の仕事をしていたんですね。夜9時には帰れるようになり、時間の余裕ができました。また、2008年始め頃には、不動産投資ファンドはこのままではダメになると感じる瞬間がありました。エシカル・ジュエリーのことをやろうと思い始めたのはこの頃です。
この頃、次は何をしようかと考えていて、社会起業家を応援するファンドとか、マイクロファイナンスとかも考えましたが、これらは大きなお金がかかるしリスクもある。いろいろ考えた上で行き着いたのが、エシカル・ジュエリーでした。ジュエリーなら小資本で始められるし、インドで見た大理石の採掘現場の現実や、その後見た映画、「ブラッドダイアモンド」もエシカル・ジュエリーを事業に選んだきっかけになったと思います。
――小資本で始められるというのは分かるのですが、そもそも過去にジュエリーの勉強をしたことなどあったのですか。
母がファッションデザイナーでしたので、子どもの頃から服を作ったり、ジュエリーを作ったりしていて、親しみやすかったんです。それに、ジュエリーは私にとって想い入れがあります。ジュエリーは人から人に贈られるもの。人と人をつなぐものです。親から子へ。愛の証として夫から妻へ。そんな人と人をつなぐジュエリーの裏に、負の現実があってはならない。そんな想いでエシカル・ジュエリーブランド、HASUNAを立ち上げました。
貧困をなくしたい。悲しむ人を減らしたい。儲けではなく、人が中心の宝飾メーカーとして、頑張って行きたいと思います。
――なるほど。エシカル・ジュエリーは、いつから販売開始したんですか。
2008年6月からです。オーダーメードジュエリーとして、結婚指輪と婚約指輪を作ったのが最初の仕事でした。とあるイベントで出会ったご夫婦が、コンフリクトフリーなダイアモンドを探していらっしゃったので、カナダ産のダイアモンドを使ってリングを作りました。カナダ産だと途上国とは関係なくなってしまいますが。ナミビア産のダイアモンドでも作ることもできます。
――最近は、オーダーメードじゃない商品も発表したんですよね。
はい、今年4月に会社を立ち上げましたが、オーダーメードジュエリー以外も増やそうと、「ベリーズコレクション」を5月に発表しました。ベリーズの貝殻を使ったコレクションです。9月には「ルワンダコレクション」を発表する予定です。
ルワンダのジュエリーは牛の角を使ったジュエリーです。ルワンダには紛争孤児となってストリートで生活をしているストリート・チルドレン達が沢山います。彼らを支援するために、牛の角を使ったアクセサリー素材製作の技術指導を行い、作った素材を海外に輸出している工房があるのですが、その工房から牛の角を買い、日本でジュエリーを作っています。
「ルワンダコレクション」は、“A Heart From Rwanda”というメッセージをキャッチコピーに展開しますが、ルワンダの人達の温かみを伝えたいと思っています。今年3月に行って来たんですが、混乱のあった国なのに、人々が穏やかで、とてもハートフルなんです。ルワンダでは「最大のエンターテイメントがおしゃべり」と言われているそうですが、その通りで、通りがかった人や、バスの中で自然と会話が始まるんです。
都会で住んでいる日本人が忘れてしまった、人と人とのつながりがルワンダにはある感じでした。こんなこともジュエリーを通じて伝えたい。そのために写真集を付けて販売します。ジュエリーがどこから来るのか。その背景も伝えていきたいんです。
――ベリーズ、ルワンダの次に、検討している国はありますか。
ベトナム、カンボジア、エチオピアなどを検討しています。特にエチオピアは人類発祥の国ですので、多くのインスピレーションが得られるのではないかと期待しています。オススメの国です(笑)。
――ところで、現在はどのようにジュエリーを販売しているんですか。
主に自社サイトです。それ以外では東武百貨店さんや都内の百貨店さんなどで、期間限定ショップを展開させて頂くことになっています。
――最後に、5年後、10年後のビジョンやゴールについてお聞かせください。
現状アフリカで採れた原石は、原石のまま海外に輸出され、研磨、カットされて製品化されています。原石のままバリューが付かない状態で売ると、安い値段でしか売れません。だから貧困からなかなか抜け出せない人が多いんです。私は、いつかアフリカで自社工場を始めて、そこで研磨やカットして完成型まで作り販売していきたいと考えています。
また、社会基盤を変えるには、私たちだけがエシカル・ジュエリーに取り組むだけでは当然足りません。ジュエリー業界全体が、普通にエシカルに考え、儲け中心から人が中心の宝飾メーカーになっていかなければならないと思います。5年後までに、業界の10%がエシカル・ジュエリーを扱っているように、「エシカル・フレームワーク」というルールを打ち出して、広げていきたいと考えています。搾取、児童労働がない、ジュエリーに関わる全ての人々が笑顔になれる業界を作っていきたいです。
――ありがとうございました。
参考サイト