森本敏防衛相は20日の閣議で、杉本正彦海上幕僚長の勇退を認め、後任に河野克俊自衛艦隊司令官を充てる人事を報告し、了承を得た。26日付で発令する。
河野 克俊氏(かわの・かつとし)77年(昭52年)防衛大卒、海上自衛隊へ。護衛艦隊司令、統合幕僚副長、11年8月自衛艦隊司令官。神奈川県出身、57歳。
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下記は河野司令官の挨拶です、今後は海上幕僚長としての挨拶となりますが、生え抜きであり、森本大臣も安心の人事となるでしょう。
司令官挨拶近年、国際的な安全保障環境は大きく変化し、伝統的な国家間の問題のみならず、新たな脅威や多様な事態など様々な課題に直面しています。特に、北朝鮮を巡っては、ミサイルや核開発の問題のみならず、昨年12月の金正日総書記の死去に伴う後継体制の問題についても懸念されます。また中国は、空母の建造に見られるように国防費の増大と装備の近代化を背景に、艦艇の活動や海洋資源開発を活発化させています。さらにソマリア沖では、海賊行為が依然として続発し、その方法も巧妙化しており、海洋の秩序に対する重大な脅威となっています。
このような情勢の下、自衛艦隊は、従来からの任務である我が国周辺海域の警戒監視を着実に実施するとともに情報収集態勢を強化し、関係国と連携し、不測の事態に備える万全の態勢をとってまいります。
これらの活動は、海洋国家としての我が国の国益を守り、我が国が国際的な責任を果たす一助となっていると確信しています。
そのほか、昨年は東日本大震災が生起し、自衛隊として初の統合任務部隊が編成され、自衛艦隊は海災部隊の中核としてその一翼を担い、全力で捜索・救助、生活支援等の活動に従事しました。国民の皆様からも大きな励ましを頂き、自衛隊に対するご理解も深めて頂いたものと確信しております。
海上自衛隊は、海上警備隊の発足から数え今年で60年を迎えます。大きく変貌する安全保障環境下にあって、自衛隊の本来任務に加え、活動機会は益々増大する一方で、自衛艦隊の根幹が、「精強・即応」であることに変わりありません。連綿と引き継いできた「精強と即応」があったからこそ、何時如何なる任務が与えられても、我が国の防衛及び警備の中核部隊として確固たる自信と誇りをもって、整斉と任務の遂行に邁進することができました。
自衛艦隊は、これからも千変万化する海上において、海に対する敬愛と畏怖の念を忘れることなく、今後これらの任務に誠実かつ実直に対応して参ります。本ホームページでは、各種任務に対応している自衛艦隊の実情と活躍の一端に触れていただき、自衛艦隊、ひいては海上自衛隊に対する益々のご声援を頂ければ幸甚に存じます。
自衛艦隊司令官 海 将 河 野 克 俊
氏 名:河野 克俊(かわの かつとし)
出 身:神奈川県
学 歴:防衛大学校21期(機械工学)(昭和52年3月卒)
平成 4年 8月 護衛艦「おおよど」艦長
5年 8月 海上幕僚監部防衛課
6年 8月 第1護衛隊群幕僚
10年 12月 海上幕僚監部防衛課防衛調整官
11年 12月 第3護衛隊司令
12年 6月 海上幕僚監部防衛課長
14年 12月 第3護衛隊群司令
16年 3月 佐世保地方総監部幕僚長
17年 7月 海上幕僚監部監理部長
18年 3月 海上幕僚監部総務部長
18年 8月 海上幕僚監部防衛部長
20年 3月 掃海隊群司令
20年 11月 護衛艦隊司令官
22年 7月 統合幕僚副長
23年 8月 現 職
24年 7月 海上幕僚長
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河野 克俊(かわの かつとし)は、神奈川県出身の海上自衛官・海将。第40代自衛艦隊司令官。
略歴
防衛大学校21期卒業(機械工学)後、海上自衛隊入隊。海上幕僚監部防衛課防衛調整官、第3護衛隊司令、海上幕僚監部防衛課長、第3護衛隊群司令、佐世保地方総監部幕僚長、海上幕僚監部監理部長、同総務部長、同防衛部長等を歴任。
海幕防衛部長時に発生したイージス艦衝突事故の責任を取る形で、2008年3月に掃海隊群司令に異動となるものの、その後護衛艦隊司令官、統合幕僚副長を経て、2011年8月5日より自衛艦隊司令官。