昔も今も、変わらない”いいもの”があります。時代とともに環境は変わりますが、心の中身はおんなじです。「人間五十年…」が「人間八十年」になっただけです。しかし未だ社会構造は「人間60年」のままです。うまく心をもう一度取り戻しながら、生きて行く時代を期待します。
Tokyo Story Trailer
茂木健一郎 @kenichiromogiじと(1)世界の中の日本のイメージと言うと、いろいろあるだろうが、人に会った時礼をする、というのはかなり流布している。名刺を渡しながら礼をすることが、時には揶揄的に語られることも。西洋人は礼をするよりも上体を起こしたまま握手をするが、それに比べてださいと感じる人もいる。
じと(2)ところが、その同じ「礼」が、オリンピックの柔道になると、実に美しい。とりわけ、きちんと礼が出来ている日本人選手に比べて、板についていなかったり、適当だったりする外国人選手がいたりすると、ださいんじゃないかと思えたりする。同じ「礼」でも、価値が逆転するのである。
じと(3)「日本的」であるということが、世界的に見てださいこと、として語られる時と、柔道の「礼」のように吸引力のある、立派なことと見える時の、紙一重の差とは、一体何だろうか。かっこいい日本人の原型は、未だに「武士」であろうが、武士の立ち振る舞いほど日本的なものはない。
じと(4)そんなことを改めて考えるきっかけになったのは、英国映画協会の発行する雑誌 Sight and Sound が10年ごとに実施する史上ベスト映画の投票で、小津安二郎の『東京物語』が第3位に入ったというニュースに接したことだった。 bbc.in/QksyQD
じと(5)映画配給や、批評、それに研究に関わる専門家は、ヒッチコックの『めまい』、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』につぐ三位に、『東京物語』を選んだ。さらに注目されることに、映画監督による投票では、『東京物語』は一位となった。現場が、史上最もすぐれた映画と認めたのである。
じと(6)『東京物語』(予告編:bit.ly/NNIknz)は、日本的と言えばこれ以上日本的なものはないというほどの映画。描かれる人間関係、家族のあり方、ライフスタイルは、私たち日本人にとって今や懐かしいとさえ言える「原風景」。世界に通じるとは、どういうことか。
じと(7)『東京物語』が世界的に受け入れられた背景には、言葉を超えた映像の力があると思われる。その意味では、「アニメ」や「漫画」の受容のされ方と似ている。日本語という言葉の壁を超えて、日本人の生命観、人との接し方の「魂」の部分が、他の文化圏の人の心をも動かす力を持ったのだろう。
じと(8)日本人が、外国に対して人見知りであり、恥じらいを感じやすいというのは、近代の一つの宿命であろう。『タイタニック』のディカプリオのような、「輝く真ん中」には行けないと思い込んでいる。しかし、気づいて見ると、私たちの日常の中に、そのまま世界に通じる何かの種がある。
じと(9)肝心なのは、文脈とプレゼンテーション。みっともない「礼」が、柔道の試合会場においては輝くように、あるいは狭い家での庶民の日常生活が『東京物語』という映画の中で永遠の光を放つように、日本人自体が、ものの見方を変えることではないか。他者との出会いで自分の本質を知るのである。
以上、連続ツイート第674回「柔道の礼と、東京物語」でした。