今まで包み隠されて来た歴史が紐どき始めています。戦争末期にはいろいろな行為もあったのではないかと推定できますが、まだ小説もドキュメンタリーも出て来ていないようです。いろいろな歴史の上に「アウン・サン・スー・チー」女史のご健闘を祈念致します!(先日、家族で「坂の上の雲」の次は何かの話題が出て来たのですが、「ノモンハン」を知らないのにビックリ仰天してしまいました。)
「最大多数の最大幸福」のために「真の民主主義」を。面田ことアウン・サンが暗殺される前に残した言葉 !
面田紋次(おもたもんじ)と名づけられた男がいた。1940年代の前半、英国の植民地となっていたビルマ(現ミャンマー)。独立 :日本経済新聞
面田紋次(おもたもんじ)と名づけられた男がいた。1940年代の前半、英国の植民地となっていたビルマ(現ミャンマー)。独立を目指し日本軍の特務機関と連携した「三十人の志士」たちは、それぞれに日本名を得た。そのリーダーが面田だった。
▼ビルマが独立した後、彼は「建国の父」と称されることになる。国軍からは「建軍の父」ともたたえられた。アウン・サン、その人だ。ただ、独立までの闘いは曲折をたどった。日本のビルマ政策が変わり、さらに連合国軍に敗れたからだ。英国との交渉を経て晴れて独立を果たしたのは、64年前のきょうのこと。
▼アウン・サン自身は独立の直前に暗殺された。それでも、この国は彼の血脈を受け継いで歩んできた。「志士」の一人だったネ・ウィンの長期独裁。アウン・サンを父とする国軍によるクーデターと、20年以上に及ぶ軍政。そして彼の遺児であるアウン・サン・スー・チー氏が、民主化を求めて軍と対峙してきた。
▼昨年春に民政に移管した後、ミャンマーでは政治犯の釈放など民主的な動きが始まった。日本や米国との関係も好転し、日本企業の視察ラッシュが起きている。「最大多数の最大幸福」のために「真の民主主義」を。面田ことアウン・サンが暗殺される前に残した言葉だ。今年こそ実現に向かってほしい。
(12・1・4)春秋