外務省、シリアで死亡のジャーナリストは山本美香さんと確認(12/08/21)
ジャーナリスト山本美香さんシリアで死す 政府発表より先に「ユーチューブ」に動画 (1/2) : J-CASTニュース
日本人の女性ジャーナリストが2012年8月20日、内戦が続くシリアで取材中に戦闘に巻き込まれ死亡した。いち早く伝えたのは同夜の動画投稿サイト「ユーチューブ」、戦場ジャーナリストの山本美香さん(45)だと分かると、ネット上で悲しみが広がった。
動画をアップしたのは、山本さんが同行取材をしていたシリア政府反体制派の自由シリア軍。兵士は山本さんの遺体のそばに立ち、アサド政権の攻撃で殺された、とし、政府に対する抗議と戦場の悲惨さを語っていた。
顔は血で染まり右手は痛々しく抉れていた山本さんはアフガニスタンやイラク、チェチェンでの戦争や紛争の取材で活躍し、03〜04年には日本テレビ系「きょうの出来事」のキャスターを務めた。優れた国際報道を行ったジャーナリストに贈られるボーン・上田記念国際記者賞特別賞を03年度に受賞。日本の戦場ジャーナリストとしてはよく知られた人だっただけに、ネットでは上杉隆さんら旧知の人々による悲しみのツイートが相次いだ。
山本さんは大学卒業後に朝日ニュースター入社し報道記者やディレクターを経験し、95年から独立系通信社ジャパンプレスに移りニュースを届け続けた。今回の取材は日本テレビの依頼で、8月14日にシリア入りしていた。死亡したのは20日で、同僚の佐藤和孝さんとアレッポの内戦を取材している最中に、20〜30メートルの距離から路上で政府軍によって銃撃を受けたという。
日本人ジャーナリストが銃撃されて重体だ、と日本のメディアが報じたのは8月21日未明で、佐藤さんから山本さんが亡くなったと日本の外務省に連絡が入り、外務省が死亡を発表したのはその後だった。ただし、遺体の動画は20日夜の「ユーチューブ」にアップされていた。
動画では収容所のような場所に山本さんの遺体が横たえられ、顔や頭が血で染まっているのが見えた。右手は銃撃を受けた痕なのか、痛々しくえぐられていた。山本さんの傍には佐藤さんがいて、遺体が山本さんであることを確認していた。
別の動画では、山本さんの頭と体は毛布のようなもので包まれ、ワゴン車のようなものに乗せられていた。顔に付いた血は拭き取られていて、鼻には脱脂綿のようなものが詰められている。動画のタイトルはアラビア文字で「彼女はアレッポで狩猟された日本のマスコミ関係者」と書かれていて、遺体の近くに立った兵士は、ビデオカメラに向かいこの内乱の悲惨さを訴えていた。
(直近の記事)
■内戦シリアにも目を
残暑お見舞い申し上げます。連日のオリンピック観戦で、睡眠不足ではありませんか?
サッカーは男女ともに決勝トーナメント進出の快挙。体操の内村航平選手は個人総合で「金」に輝き、競泳では次々とメダルを取った。選手たちの喜びや悔し涙のドラマが日本にたくさん届いている。
今回の第30回夏季ロンドン五輪には204の国と地域が参加。開会式の入場行進はオリンピック発祥の地で、現在、財政難で苦しむギリシャからスタートした。続いてアルファベット順にアフガニスタン、アルバニア、アルジェリアと続いた。偶然だが、この三つの国は、紛争や騒乱の取材で訪れたことのある国だ。
アフガニスタンは前回の北京五輪で初のメダルを獲得した。現地では、足腰の強さを生かした格闘技が大人気で、首都カブールには有名選手たちのポスターがあちこちにはられている。男子テコンドーで銅メダルをとった選手は、戦争ばかりの国に希望をもたらした英雄で、子供たちのあこがれの的でもある。
ところでイスラム国出身の女子選手がスカーフをかぶり、肌を覆うユニホームで出場しているのを見たことがあるだろう。柔道女子のサウジアラビア代表選手は、ヘジャブと呼ばれるスカーフの着用を禁止されたため、出場が危ぶまれていたが、特例として着用を許可された。イスラム社会では、個人よりも家族や一族の意見が重要視されることが多い。夫や父がスポーツなどするなと言えば、妻や娘は従わざるを得ない。イスラム保守派の批判をかわすために、自らの意志でスカーフを着用する選手もいる。しかし、それが国際試合のルールにそぐわなければ、出場をあきらめなければならない。自国の文化と世界基準との板挟みになりながら、出場のチャンスをつかんだ女性たちにエールを送りたい。
さて、ロンドンで熱戦が繰り広げられるなか、中東のシリアでは大変な事態が進行している。「アラブの春」の最終段階ともいわれるシリア危機はもはや“危機”をはるかに超えて“内戦”となった。首都ダマスカス、第2の商業都市アレッポが、政府軍と自由シリア軍(反体制派)との戦いでめちゃくちゃに破壊されているのだ。アサド大統領も「内戦である」と認めたものの、和平交渉を退け、武力鎮圧に舵(かじ)を切った。国連の停戦監視団の活動も暗礁に乗り上げている。
7月、国境の一部が反体制派の手に落ち、大量の難民が周辺国に押し寄せた。この数カ月間に登録された難民数は11万人以上に膨れ上がっている。シリアは化学兵器の保有国だ。もし、化学兵器が使われたら? もし、国外に流出したら? 懸念は深まるばかりだ。
シリアもオリンピックに出場している。国旗とともに入場した選手たちは、笑顔を見せていたが、心穏やかではないだろう。素晴らしい成績を残しても、国や国民に祝福するゆとりはない。五輪組織委員会の会長は「世界の人々を協調、友情、平和のきずなで結ぶオリンピック」とあいさつした。華やかな祭典の陰で、日々、無辜(むこ)の人々が逃げ惑い、命を奪われ続けるもうひとつの現実にも目を向けたい。
(やまもと・みか ジャーナリスト ジャパンプレス所属)
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■命、はかなくも強靱
昨年は、激動の一年だった。東日本大震災は、私たち日本人にとって忘れられない大惨事だ。世界でも歴史に深く刻まれる出来事が起きた。1月のチュニジア・ジャスミン革命に始まり、2月にエジプト、8月にリビアの独裁政権が終わりを告げた。イエメンもまもなく政権交代となる。この「アラブの春」現象は現在も進行中で、中東のシリアからは目を離せない。反政府デモや活動はアラブ諸国以外の中国やロシアなどへも影響を及ぼしている。
それにしてもリビアのカダフィ大佐の末路は無残なものだった。反カダフィ派の民兵たちにリンチされ、射殺後の映像が瞬時に世界中へ配信された。5年前、イラクのフセイン元大統領が絞首刑されたときも動画がネットに出回った。それに匹敵する衝撃だった。
時期は前後するが、5月にアメリカの特殊部隊の作戦でオサマ・ビンラディン容疑者が殺害されたことも大きな事件だった。隠れ家から押収したというビデオを米国防総省は公開したが、映っていたのは、ビンラディン容疑者とみられる年老いた老人の姿だった。無差別テロの手法を使わず、ITを駆使した民衆の力で世界が変わる現実を彼はどう受け止めていたのだろうか。
12月、オバマ米大統領はイラク戦争終結を宣言し、米軍は完全撤退した。9年余りで米軍兵士4400人以上、イラク市民10万人以上が犠牲となった。年末年始にかけてイラクでは大規模テロ事件が相次いで発生している。内戦に発展しかねない現地の混乱ぶりを見る限り、終結宣言はむなしく響く。米軍撤退が始まったアフガニスタンもタリバーンとの対話が一向に進まず、まさに泥沼化だ。
年末、県立男女共同参画推進センター・ぴゅあ富士で世界の戦争と平和について考える講演会を開いた。来場者からは「自然災害の恐ろしさとは違う、人間の起こす戦争について、もっと考えていきたい」との感想があり、海外情勢に高い関心を寄せていることがわかった。テレビ報道では伝えきれない戦地の現状をじっくりと報告する貴重な機会となった。
戦争と自然災害を同列に語れないが、それでも「忘れない」「忘れてはいけない」という言葉が、これほど心に深く突き刺さるのは、東日本大震災の衝撃と痛みを経験したからだろう。それは、紛争地で暮らす人々が抱える苦しみと通じるところがある。戦地を取材していると、人の命ははかなく、だが人の命は強靱(きょう・じん)だと感じる。絶望のふちに立っても懸命に生きていく。そんな姿を私は何度も目にしてきたからだ。
被災した東北の小学生が、被災地と戦争を重ね合わせ「戦争でも地震と同じようにたくさんの人が死ぬと聞いた」と話すのをニュースで目にした。どんなにつらくても苦しくても、立ち直ろうとする力、他者を思いやる心。その優しさとたくましさを大切にしてほしいと思った。
今年は世界的な選挙イヤーで、主要国のリーダーが変わる可能性がある。日本は震災を乗り越え、どう変化していくのか。内政を重視しながらも世界の動向に目を向けることを忘れないようにしたい。
(やまもと・みか ジャーナリスト ジャパンプレス所属)