朝日新聞デジタル:〈ひと〉早世したアイヌの少女を一人芝居にした
一人芝居で知里幸恵を演じる舞香さん
■舞香(まいか)さん(31)
天才と呼ばれ、言語学者金田一京助の庇護(ひご)を受け、「アイヌ神謡集」(岩波文庫)を残し、1922年に19歳で逝ったアイヌの少女、知里幸恵(ちりゆきえ)。その内面の怒りや葛藤を、一人芝居「神々の謡(うた)」で描き出す。
東京生まれ。中学生のときから舞台に立ち、中原中也や金子みすゞを一人芝居にしてきた。2008年、観客アンケートに「次は知里幸恵さんを」とあるのを見て存在を知り、幸恵が残した日記や手紙を読み込んだ。だが、「アイヌを侵略した側の自分が演じていいのか」。脚本を書けなかった。
そんなとき、北海道で鹿狩りに参加。撃たれ、解体されていく鹿に「こんなに命ってきれいなのか」と圧倒された。同行したアイヌ文化を継ぐ人たちから「思うとおりやれば」と背中を押された。
「アイヌとは『人』のこと。同じ人間として向き合ったとき、一気に脚本ができました」
09年から東京や道内各地で公演。幸恵や周囲の人、神謡集に登場するカムイ(神)を自在に演じ分ける。激しい表現に拒否感を持つ人もいるが、「よくやってくれた」と涙するアイヌの人もいた。
「幸恵が差別や無理解にものすごく苦しんだことを知ってほしい。震災後の今、自然やカムイへの感動を私たちに取り戻したい」
今年は幸恵没後90年。12〜16日、東京・笹塚で再び演ずる。
文・林美子 写真・杉本康弘
銀の滴降る降るまわりに
knbys2255 さんが 2012/06/29 に公開
アイヌ神謡集全13篇を、ムカシ玩具 舞香が一人芝居で演じるシリーズ 第一弾
アイヌ神謡集 - Wikipediaアイヌ神謡集(あいぬしんようしゅう)は、知里幸恵が編纂・翻訳したアイヌの神謡(カムイユカラ)集。
1920年11月、知里幸恵が17歳の時に、金田一京助に勧められて幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツより聞いていた「カムイユカラ」を金田一から送られてきたノートにアイヌ語で記し始める。翌年、そのノートを金田一京助に送る。1922年に『アイヌ神謡集』の草稿執筆を開始。金田一の勧めにより同年5月に上京。金田一家で『アイヌ神謡集』の原稿を書き終える。校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げたが、同年9月18日、心臓麻痺により急逝。翌年の1923年に金田一の尽力によって『アイヌ神謡集』を上梓し、郷土研究社から発行された。
『アイヌ神謡集』執筆の動機は、アイヌ研究家の金田一京助に、「カムイユカラ」の価値を説かれ、勧められたからであるが、これは外面的なことであり、知里幸恵の内面的な動機は、『アイヌ神謡集』の「序」に書かれている。この「序」は名文であり、知里幸恵の信条や思いが伝わる文である。
アイヌの自由な天地、天真爛漫に野山を駆けめぐった土地であった北海道の大地が、明治以降、急速に開発され、近代化したことが大正11年3月1日の日付をもつ「序」からわかる。それは「狩猟・採集生活」をしていたアイヌの人々にとっては、自然の破壊ばかりでなく、同時に生活を追われることでもあり、平和な日々をも壊すものであった。この「序」には、亡びゆく民族、言語、神話ということを自覚し、祈りにも似た思いで語り継いでいこうというせつない願いがあり、アイヌの文化を守りたいという、切々としたその思いをこの「序」は見事に伝えている。『アイヌ神謡集』の完成・出版によって、若いアイヌの女性が自らの命を削って、民族の神話を伝えた。その真の執筆動機、その思いはこの「序」から十分すぎるほど読み取れる。また、近代から現代まで続いた「開発」がどれほど自然を破壊してきたか、この「序」は、1922年という20世紀の初めの時点で訴えており、知里幸恵は「先見の明」を持っていたとも思われる。
時代は下って2008年6月7日には、前日の国会におけるアイヌ先住民決議の採択を受けた朝日新聞の天声人語において、知里幸恵・『アイヌ神謡集』と共にこの「序」の一部が紹介されるに及んだ。この取り上げ方には、アイヌを「亡びゆくもの」であると"本土"の立場から固定しようとする見方であるなどの批判があるが、知里幸恵とその思想が広く全国に知らしめられたという点では特筆すべき出来事であった。