先日の「なんでも鑑定団」に登場した「池大雅の千字文」四文字熟語×50 ×5冊=千、…日本に数セット残っているのみ、なんと400万円の値がつきました/虫食い少なくばその1.5倍、、、元々中国で王子の字の練習用に作成されたもので、江戸時代には子どもの字の手ほどき帳となっていたとのことです。
千字文とは、その名の通り千文字の漢字を用いた習字の手本をいう。初めて登場したのは六世紀中国南北朝時代の頃。時の武帝が子供達に手習いの為に手本を探しており、そこで選ばれたのが書聖王義之の筆跡であった。しかし単なる文字の羅列では面白みに欠けた為、武帝は秀才の誉れ高い文官周興嗣(しゅうこうし)に、その中から重複しない千文字を選ばせこれを意味の通る詩にするよう命じた。こうして誕生したのが千字文である。
四文字で一句、計二百五十句からなり、それぞれの句は天文・倫理・政治などについての道理を簡潔に表現している。例えば日本でも広く人口に膾炙している「夫唱婦随・ふしょうふずい」はこの千字文から生まれた言葉である。また音読すると美しく響いたことから瞬く間に中国全土に広まり、現代に至るまで習字の手本として珍重されている。
二玄社 中国法書選27 隋 智永 真草千字文 を全紙に臨書
千字文は半紙 巻紙他何度か臨書しています つねに新しい発見があります 以下 角井 博氏解説抜粋
千字文は4字1句 250句 いわゆる四言古詩 梁の周興嗣(470-521)の作
梁の武帝が王子の手本用に殷鉄石に命じ王羲之書の中から1000字を集めて模本を作らせ
周興嗣に命じ 整然とした韻文にまとめ上げた 重複する文字がない。
早くから漢字学習や習字の手本となる 智永〈生卒不詳〉は浙江会稽の人 東晋王羲之の7世の孫
永欣寺閣上に30年間も閉じこもり真草千字文800本を臨書した
千字文全文
千字文 せんじもん
天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張 寒来暑往
秋収冬蔵 閏余成歳 律呂調陽 雲謄致雨 露結為霜
金生麗水 玉出崑崗 剣号巨闕 珠称夜光 菓珍李奈
菜重芥薑 海鹹河淡 鱗潜羽翔 竜師火帝 鳥官人皇
始制文字 乃服衣装 推位譲国 有虞陶唐 弔民伐罪
周発殷湯 坐朝問道 垂拱平章 愛育黎首 臣伏戎羌
遐邇壱体 率賓帰王 鳴鳳在樹 白駒食場 化被草木
頼及万方 蓋此身髪 四大五常 恭惟鞠養 豈敢毀傷
女慕貞潔 男效才良 知過必改 得能莫忘 罔談彼短
靡恃己長 信使可覆 器欲難量 墨悲糸染 詩読羔羊
景行維賢 剋念作聖 徳建名立 形端表正 空谷伝声
虚堂習聴 禍因悪積 福縁善慶 尺璧非宝 寸陰是競
資父事君 曰厳与敬 孝当竭力 忠則尽命 臨深履薄
夙興温清 似蘭斯馨 如松之盛 川流不息 淵澄取映
容止若思 言辞安定 篤初誠美 慎終宜令 栄業所基
藉甚無竟 学優登仕 摂職従政 存以甘棠 去而益詠
楽殊貴賎 礼別尊卑 上和下睦 夫唱婦随 外受傅訓
入奉母儀 諸姑伯叔 猶子比児 孔懐兄弟 同気連枝
交友投分 切磨箴規 仁慈隠惻 造次弗離 節義廉退
顛沛匪虧 性静情逸 心動神疲 守真志満 逐物意移
堅持雅操 好爵自縻 都邑華夏 東西二京 背芒面洛
浮渭拠涇 宮殿磐鬱 楼観飛驚 図写禽獣 画綵仙霊
丙舎傍啓 甲帳対楹 肆筵設席 鼓瑟吹笙 升階訥陛
弁転疑星 右通広内 左達承明 既集墳典 亦聚群英
杜稾鍾隷 漆書壁経 府羅将相 路侠槐卿 戸封八県
家給千兵 高冠陪輦 駆轂振纓 世禄侈富 車駕肥軽
策功茂実 勒碑刻銘 石番渓伊尹 佐時阿衡 奄宅曲阜
微旦孰営 桓公匡合 済弱扶傾 綺廻漢恵 説感武丁
俊乂密勿 多士寔寧 晋楚更覇 趙魏困横 仮途滅豸虎
践土会盟 何遵約法 韓弊煩刑 起翦頗牧 用軍最精
宣威沙漠 馳誉丹青 九州禹跡 百郡秦并 岳宗恒岱
禅主云亭 雁門紫塞 奚隹田赤城 昆池碣石 鉅野洞庭
曠遠綿貎 巌岫杳冥 治本於農 務茲稼穡 俶載南畝
我芸黍稷 税熟貢新 勧賞黜陟 孟軻敦素 史魚秉直
庶幾中庸 労謙勤勅 聆音察理 鑑貌辯色 貽厥嘉猷
勉其祇植 省躬譏誡 寵増抗極 殆辱近恥 林睾幸即
両疏見機 解組誰逼 索居閑処 沈黙寂寥 求古尋論
散慮逍遥 欣奏累遣 感謝歓招 渠荷的歴 園莽抽条
枇杷晩翠 梧桐早彫 陳根委翳 落葉飄徭風 遊鶤独運
凌摩絳霄 耽読翫市 寓目嚢箱 易車酋攸畏 属耳垣牆
具膳餐飯 適口充腸 飽飫亨宰 飢厭糟糠 親戚故旧
老少異糧 妾御績紡 侍巾帷房 糸丸扇員潔 銀燭火韋煌
昼眠夕寝 藍笋象床 絃歌酒讌 接杯挙觴 矯手頓足
悦与且康 嫡後嗣続 祭祀蒸嘗 稽桑頁再拝 悚懼恐惶
牋牒簡要 顧答審詳 骸垢想浴 執熱願涼 驢騾犢特
駭躍超驤 誅斬賊盗 捕獲叛亡 布射遼丸 山禾尤琴阮繍
恬筆倫紙 鈞巧任釣 釈紛利俗 並皆佳妙 毛施淑姿
工口歩頁妍咲 年矢毎催 羲暉朗曜 旋王幾懸斡 晦魄環照
指薪脩祐 永綏吉劭 矩歩引領 俯仰廊廟 束帯矜荘
徘徊瞻眺 孤陋寡聞 愚蒙等誚 謂語助者 焉哉乎也