山下裕二さん(美術史家・明治学院大学教授)
ギロリと大目玉でにらみをきかす達磨(だるま)から、妖怪のような一つ目達磨まで、ど迫力の達磨像を数多く描き、禅画を代表する巨匠、白隠。その奇抜な発想と大胆な筆さばきの禅画は、アーティストの村上隆さんや元首相の細川護煕さんも賛嘆する。近年、白隠の禅画を新たに広範囲に発掘した画期的な研究がまとまり、これまで単なる戯画と見なされてきた水墨画にも深い禅の教えがこめられていることが明らかになった。番組では、白隠が描いた達磨や七福神の魅力をさまざまな角度から捉えなおすとともに、最新研究が明らかにした、画中画や文字絵、裏と表がつながるメビウスの輪のような絵など、数々のおもしろいアイデアを紹介しながら、白隠の水墨画の中に秘められた禅の奥義に迫る。
関連展覧会Bunkamuraザ・ミュージアム「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」紹介
恋人は雲の上なるおふじさん
富士山が日本を代表する名山であることは、いうまでもない。古来、霊峰としてあがめられ、詩歌にうたわれ、多くの画家たちが好んでその美しい姿を描いてきた。この山のふもとに生まれ育ち、その土地にある松蔭寺に生涯、住職した白隠が、その富士山を描くのは、ごく自然のなりゆきであろう。白隠が描いた富士山図がいくつも残されている。
白隠は毎日見ている富士山を、単なる風景画として描いたのであろうか、それとも、そこには何らかの白隠らしいメッセージが込められているのであろうか。そんなことを考えてみたい。
富士山ほど単純な形をした山はないだろうが、それがまた端正な美しさにもなっている。白隠が描く左の図は、作為のない単純な一本の線で富士山が描かれている。その賛には、
おふじさん 霞の小袖ぬがしやんせ
雪のはだへが 見度ふござんす
とある。俗謡めいた色っぽい言葉である。「画賛」は、特に「自画自賛」の場合の賛は、その絵の意味を補完的に説明するものであって、絵画のもつ意味を解明する上で重要な意味を持っていることはいうまでもないであろう。白隠の別の「富士山図」には、また、
恋ひ人は雲の上なるおふじさん
はれて逢ふ日は雪のはだ見る
という賛が書かれたものもある。いずれも、雪におおわれた霊峰を、白い肌の美しい女性になぞらえ、恋人に見立てたものである。
瀟洒に描かれているので、茶掛けにしてもおかしくないだろう。しかし、白隠は床の間の掛け物にふさわしい軸物の制作をねらったわけではない。一見、変哲もないようなこの絵にも、白隠ならではの禅的メッセージがこめられているのである。
それをさぐるために、もういくつか別の富士山図を見てみよう。
左図は、富士山のふもとを大名行列が通るところを描いたものである。箱をかつぐ仲間、毛槍を持つ男、駕籠かきが2人、駕籠の前後にひとりずつの武士、あわせて6人の人物が描かれている。そして、その賛には、先に見たものとと同じ「おふじさん霞の小袖……」とある。半切に軽いタッチで描かれた、これもまた瀟洒な作品である。
出典: 富士大名行列図解説