土湯温泉 その2 なぜ同じ内容のものを追加したのか…記事に深い理解と愛情を感じたからです!…敬意を表します!
福島第1原発:土湯温泉、地熱発電導入で街再興目指す - 毎日jp(毎日新聞)
「こけしとミズバショウの里」として知られる東北の名湯・土湯温泉(福島市)。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で、旅館16軒のうち6軒が休・廃業に追い込まれる中、有志が「復興再生協議会」を設立し、温泉熱を利用した自然エネルギーの導入で温泉街再興を目指している。中心は、40年前に青年団体「土湯アラフド(新足)の会」を作った団塊世代の3人。アラフドとは方言で「新雪を一番先に踏み固め、道を作る」の意味だ。3人はそのパイオニア精神を胸に活発に動いている。
協議会設立の中心になったのは「味工房ひさご」を経営する陣野原幸紀さん(64)、社会福祉法人理事長で同協議会長を務める加藤勝一さん(63)、福島商工会議所副会頭で旅館「山水荘」を経営する渡辺和裕さん(62)。
復興に向けてのアイデアは、法律で制限されている廃業旅館の住宅転用などの規制緩和を盛り込んだ復興特区実現だ。計画の柱は、毎分1400リットルの温泉を利用した地熱発電の導入。環境省の補助金を元に12年度中に着工し、13年度に土湯全体を賄える毎時500キロワットの発電施設を完成させる。河川による小水力発電も計画し、将来は1500キロワット規模にする計画もある。
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オイルショックに見舞われた73年、将来への危機感を抱いた若者二十数人が「アラフド」を結成。加藤さんが会長で年会費は5000円。ひさごで毎夜のように酒を酌み交わす中で浮かんだアイデアを実現させ、町の活性化に取り組んだ。
家業が忙しいなどの理由で会の活動が下火になっていた中、東日本大震災が起きた。被災したり、原発事故の影響で客足が途絶えるなどして、旅館6軒が休・廃業した。「生き残りをかけ、また頑張っぺ」と、昨年10月に同協議会を結成し、計画を練り上げた。
環境省は、被災地で再生可能エネルギーの導入を計画しており、土湯温泉のアイデアがマッチ。このほど要望が通り、5500万円の補助金が付くことになった。
加藤さんは「停電しない温泉町にしたい。余剰電力は売電し、電気自動車を走らせてもいい。電気で泣いた分、脱原発のモデル地区にしたい」と話している。【清水勝】
◇土湯温泉福島市中心部から西方約16キロに位置し、古くから湯治場として栄えた温泉街。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に記述があり、鳴子、遠刈田(いずれも宮城県)などと並ぶこけしの生産地としても有名。12日の「歌会始の儀」で、皇太子妃雅子さまが詠んだように、近くの仁田沼周辺はミズバショウの群生地で知られる。
毎日新聞 2012年1月30日 10時32分(最終更新 1月30日 10時49分)
<地熱発電、許可簡素化>復興特措法、福島の規制緩和上乗せ <福島の復興>平野復興相:18歳以下医療費無料断念 福島知事と会談 <福島の復興>双葉郡民を国民と思っていますか 福島・双葉町長が語る、発言に込めた怒り <温泉熱で事業次々>石油危機、志に火付け 温泉関連のマネジメント会社 …下記へ内容をコピペします。成功事例です! <余った蒸気で発電>温泉地・霧島だからこそできる究極のクリーンエネルギー 霧島国際ホテル …温泉地での地熱発電成功事例として有名です! 北海道発「エネルギー」は変わるか:第3部 時代よ、ついてこい/6止 /北海道 - 毎日jp(毎日新聞) ◇省エネ・再エネに半生懸ける ◇失敗を恐れず挑め 石油危機、志に火付け 温泉熱で事業次々札幌・ススキノのネオン街の真ん中に、地下800メートルから湧き上がる温泉がある。複合保養施設「ジャスマックプラザ」の天然温泉を27年前に掘り当てた河野順一さん(81)。半生を省エネや再生可能エネルギー開発の事業化に費やし、今も東京で温泉関連のマネジメント会社を営む現役だ。これまで手掛けた施設は270カ所以上。「ほら見ろって感じでね」。当時の挑戦を楽しそうに振り返る。
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札幌でリース会社を経営していた河野さんが省エネ・再エネに目覚めたきっかけは、73〜74年の第1次石油危機だった。ある時、来日中だった米国の地質学者から話を聞く機会があり、地熱利用の方法を紹介された。温泉資源に恵まれている北海道。「足下に膨大なエネルギーが眠っている」と想像すると胸が躍った。教師だった両親の「世の中のためになることをしなさい」という言葉を思い出した。 地質学の権威とされ、仕事の関係で知り合いだった佐々保雄・北海道大教授(故人)に教えを請い、欧米に視察にも行った。帰国後の76年、地中熱利用事業の会社「マグマ」を創業した。原子力が未来の主力エネルギーだと語られ、日本の各地で原発立地が進んでいた時代。再エネに目を向ける企業人は少なかった。
最初に手掛けたのは、新築される弟子屈町庁舎への温泉熱を使った暖房システム導入。公共建築物では国内初の試みだった。90度以上の温泉をくみ上げ、熱交換器を使って水を60度前後まで温めて床暖房として循環させる。「温泉は金属を腐食させることも知らないのか」。冷ややかな視線にもさらされたが、リース会社時代に培った配管の知識で、パイプに腐食しにくいチタンを使う工夫をした。
定山渓温泉(札幌市南区)のホテルでは、暖房に温泉熱を利用することで巨大なボイラー3基が不要になり、1億円の設備投資で年6000万円の燃料費削減に成功。「2年で元を取れる」と道内外から問い合わせが殺到した。
80年からは各地のロードヒーティングにも取り組み、設置は約240カ所に上る。85年のススキノの温泉開発では、くみ上げに使うディーゼルエンジンの排ガスや冷却水で温泉を温める廃熱利用システムを構築した。自社ビルを省エネの実験ビルとして、太陽光発電にも取り組んだ。
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河野さんの事業は、収益が上がったものばかりではない。例えば94年に日本で初めて商品化したという「サボニウス型風車」。円筒を真ん中で縦に割ってS字形にした形状で、秒速1メートルの弱風でも回るのが特徴だった。茨城県の博物館に納入したが、発電効率の面でプロペラ型に劣り、需要は伸びなかった。
だが当人は、どこまでも前向きだ。「日本人は新しいことに挑戦する文化が欧米に比べて希薄。失敗を恐れていては新しいことはできない」。東日本大震災後、政府がようやく本腰を入れ始めた再エネ拡大も「国はコストの心配ばかりしている」ように見える。
住み慣れた北海道を離れたのは、98年の北海道拓殖銀行の破綻によって取引先が倒産したのが一因という。低迷する道経済の活路は、省エネ・再エネにあるのではないか、と河野さんは思う。「普通の人は温泉を見ると、お湯が出ていると思う。でも私は、エネルギーがザクザク出ているように見える」。オイルショックで火が付いた志は、今も燃え続けている。【佐藤心哉】