ソニーの平井体制、「発足10カ月」の勝算:日経ビジネスオンライン
新社長の平井一夫(写真:室川イサオ)
ソニーの平井一夫副社長が今年4月1日付けで社長に就任する。10カ月前の昨年4月1日に、代表権を持つ副社長に昇格し、次期社長の最有力候補に踊り出た時から平井体制は始まっていた。
副社長に任命されるやいなや、各部門の責任者を毎週1回、東京品川の本社の1室に集めて、夜遅くまでミーティングを開くことを恒例とした。メンバーはテレビやビデオ、オーディオ部門の今村昌志・事業本部長、デジタルカメラ部門の高木一郎・事業本部長、パソコン部門の鈴木国正・事業本部長、マーケティング担当役員の鹿野清・上級副社長、ソニー・コンピュータエンタテインメントのアンドリュー・ハウス社長、そしてビデオ会議で参加する米ソニー・ネットワークエンタテインメントインターナショナルのティム・シャーフ社長らだ。終了時間は決まっていない。
「今度の新型タブレット端末はスマートフォンと操作性を統一すべきではないか」「音楽再生の仕方が違うのはいかがなものか」
そんな議論が延々と繰り広げられる。議論が出尽くした頃、誰からともなく「さあ飲みに行こうか」との声が上がり、酒を酌み交わしながら延長線が始まる。
縦割り組織の壁を取り払うとともに、平井氏が幅広い製品の開発状況に目を行き届かせるのが狙いだ。
創業当時への回帰今年6月の株主総会後に取締役会議長に退くハワード・ストリンガー会長兼社長CEO(最高経営責任者)が平井氏に残した宿題は余りに大きい。テレビ事業は2012年3月期まで8期連続の赤字が確実で、連結最終損益は2200億円の赤字に沈む見込みだ。
ストリンガー氏はデジカメ、パソコン、テレビなど、製品ごとにバラバラに開発を進める部門を「サイロ」と評した。「ソニーユナイテッド」を標榜し、この縦割り組織の壁を取り払おうとしたが、目に見える形での成果はあげられなかった。
跡を継ぐ平井氏は、「ソニーの世界観を統一する」と言う。各種製品の操作性やデザインなどを統一し、ソニー製品で消費者を囲い込むことで、業績回復を目指す。1週間に1度のミーティングはそのための意思統一の場となる。
また、商品開発の状況を把握することで、大きくなりすぎた組織の弊害を取り除きたい考えだ。
ソニーの規模が今よりずっと小さかった頃、井深大氏、盛田昭夫氏ら創業当時からの経営メンバーは、自ら頻繁に開発現場に足を運んでいた。どのような製品が開発されているのかを自分の目で確かめ、「行ける」と思えば、たとえリスクが大きくても商品化に大胆にゴーサインを出した。こうしてトランジスタラジオや「ウォークマン」「トリニトロン」など時代の1歩先を行く商品を次々と世に送り出した。
だが、組織が大きくなるにつれ、トップが製品開発の全体像を把握するのが難しくなり、革新的な商品もなかなか生み出されなくなった。
平井氏は、自ら開発現場に足繁く通うのは難しくても、部門責任者とのミーティングを重ねることで、製品の開発状況を把握し、誰もが「ソニーらしい」と感心する商品を見定めようとしている。トップが主導権を握る、創業当時の開発体制に回帰しようとしているのだ。
「日本人として歩みたい」51歳でグループ従業員16万8200人の頂点に立つことになった平井氏とは、どんな人物なのか。
小学1年から中学3年まで米国で育ち、帰国後はアメリカンスクールに入学した。米国人と遜色のない英語力はそこで培われた。
だが、内面の悩みは深かったようだ。平井氏は母校である国際基督教大学のインタビューで、「私は英語が出来るけれど日本人なのだから、日本の大学に行き、日本の会社に行き、日本人として歩みたいと決めていた」と語っている。自身のアイデンティティーはどこにあるのか。日本と米国の狭間で揺れていた平井氏は、日本に基盤を求めた。
だからこそ1984年、大学卒業後にソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)に入社してからも希望は国内勤務だった。だが、想定外のニューヨーク駐在辞令により、米国勤務となる。そこで、歌手・久保田利伸氏の米国デビューなどを担当した。
1995年にはソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)米国法人に移る。ここでの調整能力や行動力などが高く評価され、COO(最高執行責任者)となる。それが後にSCE社長、ソニー社長へと続くサクセスストーリーの端緒となった。
平井氏の誠実な性格は、衆目が一致するところ。SCEの赤字が解消せず、難しい局面でも、できる限り記者の質問には正対して答えようとしていた。記者の顔や名前も覚え気軽に話しかけてくれる。気配りの人だからこそ、人的交流が重要なエンタメビジネスで頭角を現し、同じくソフトビジネス出身のストリンガー氏の寵愛を受けることになったのだろう。
「出世して経営トップになりたいと思ったことはない」。かつて、平井氏は周囲にこう漏らしていたという。果たして今回、平井氏が望んで社長になったのか否かは本人しか分からないが、本流のエレクトロニクス部門の有力幹部がテレビ事業の黒字化に手こずり、次々と社長レースから脱落する中、運命に導かれるように平井氏はソニーのトップにまで上り詰めた。
平井氏の第1の課題として立ちはだかるのは、ほとんど経験のないエレクトロニクス部門の構造改革だ。痛みを伴う構造改革を断行するには、幹部の人心掌握が不可欠。部門責任者と重ねてきた週1回のミーティングや飲み会も、改革断行に向けた下準備である。いよいよ4月1日、平井社長の下で再建がスタートする。