(電子版セレクション)コダックの町 育つ起業精神 :日本経済新聞
コダックの町 育つ起業精神沈む巨人の遺産活用 OB・人脈・設備に厚み
1月19日に米連邦破産法11条の適用を申請し、経営破綻した米イーストマン・コダック。創業の地であり、今も本社を構えるニューヨーク州ロチェスター市は、創業者ジョージ・イーストマンが繁栄の礎を築いた企業城下町として知られる。盟主の没落で地域経済は大きな打撃を受けていると思いきや、地元を歩くと、産業構造の変化を受け入れつつ将来の芽をはぐくむ米経済のたくましい姿があった。
社員6万人から7000人に
「町はこの出来事を乗り越えるだろう」。コダック破産法申請の知らせを聞いたトム・リチャーズ市長は、メディアにこう語った。
人口21万人。五大湖の1つ、オンタリオ湖の南岸に位置するロチェスターは事務機大手、ゼロックス創業の地であり、コンタクトレンズ大手のボシュロムも本社を置く。
だが全盛期に「市の経済の半分を担った」(リチャーズ市長)というコダックは別格。長い間、同市最大の雇用主で1982年のピーク時に6万人以上の社員を抱えていたが、足元では7000人まで落ち込んだ。
「フィルムの巨人」の衰退を象徴する場所が、市中心部から北に5キロのところにある。旧「コダック・パーク」。東京ドームの100倍を超える敷地にはフィルム工場など200棟の建物が並んでいたが、事業の縮小や撤退で90年代以降、80棟が姿を消した。
コダックの代わりに雇用を吸収したのは、主にサービス産業だ。筆頭は16年に地元で創業したスーパーマーケット「ウェグマンズ」。従業員の福利厚生の手厚さや顧客サービスの高さなどが評価され、米誌「フォーチュン」の「働きたい会社トップ100」で98年以降、毎年上位に入っている。
全米で79店舗を展開し、2011年の売上高は62億ドル(約4700億円)に達する。全米で合計4万2000人を雇い、ロチェスターではコダックを抜いて民間最大の雇用主になった。製造業からサービス業主体にシフトした米経済の縮図といえる。
しかし、ものづくりが消えたわけではない。90年代以降、コダックから分離・独立したり、買収されたりした事業の多くは今も健在。コダック元社員らによる起業も活発だ。従業員1000人以下の中小企業が市の雇用に占める比率は80年の57%から08年には80%まで増えた。
08年設立のトランスペアレント・マテリアルズもその一つ。社員6人のうち、ジョー・ブリングリー社長(49)を含む3人が元コダックの化学者だ。歯科向けインプラント材料や、副作用が少ない整形外科向け材料を手掛ける。
安い家賃で「空き家」提供
ブリングリーさんがロチェスターで起業した大きな理由の一つは、コダックの“遺産”にある。オフィスは旧コダック・パークの中にある。コダックが「空き家」になった建物の一部を改修し、09年に「イーストマン・ビジネスパーク」と名付けて、ベンチャー企業などに相場よりも安い家賃で提供し始めたのだ。
ビジネスパーク担当者は「実験設備から廃棄物処理まで、材料化学事業に必要な施設がそろっているのが強み」と話す。バイオ燃料や太陽電池などのベンチャー7社が入居し、研究開発に取り組んでいる。
コダックのリストラが技術者の起業家魂に火を付けたのは皮肉だが、破綻と再生の循環こそがイノベーション大国アメリカの強みだ。ブリングリーさんは「博士号を持つ社員が7000人もいたコダックOBの人脈は強力。私がOBでなくても、人材の厚みを考えれば、この地で起業しただろう」と話す。
創業者のジョージ・イーストマンは優秀な人材を集めようと、町の教育・文化の向上に私財を投じた。ロチェスター大学やイーストマン音楽学校はいまも国内外の学生が門をたたく全米トップクラスの学校だ。
そんな同地の住み心地のよさが変化への感度を鈍らせ、コダックが独善的になる一因になったとの指摘がある。実は、同社は90年代初め、ワシントンへの本社移転を真剣に検討した時期があった。
“遷都”が必要と考えたのはケイ・ホイットモア会長(当時)だったが、93年に後任としてモトローラからきたジョージ・フィッシャー氏が撤回し、計画は幻で終わった。
コダック・モーメント――。米国では絶好のシャッターチャンスをこう呼ぶ。数々の自己変革のチャンスを逃した名門企業が最後に払った代償は小さくなかった。
(ニューヨーク=小川義也)