ソニーの誤算と成算、「キンドル」迎え撃つ老舗の意地 :日本経済新聞2012/4/24
米アマゾン・ドット・コムの電子書籍端末「キンドル」が今夏にも日本に上陸すると見られているが、日本にも電子書籍端末のグローバル展開をもくろむ「老舗」が存在する。家電大手のソニーだ。ソニーが北米で電子書籍端末を発売したのは、キンドルが登場する1年以上前の2006年9月。国内は10年12月に逆輸入する形で“再”参入した。だが今のところ、国内外で「成功した」とは言い難い。その誤算と成算とは。電子書籍事業を統括する事業責任者に話を聞いた。
ソニーは「電子ペーパー」を用いた電子書籍専用端末(電子書籍リーダー)の草分けだ。「端末の投入では、常にライバル企業に先んじてきた」。米国ソニー・エレクトロニクスのシニア・バイス・プレジデントとして07年から電子書籍事業を担い、11年4月からは本社でグローバルの電子書籍を統括するデジタルリーディング事業部の野口不二夫事業部長は、こう語る。
電子ペーパーは液晶ディスプレイとは違い、通電していなくても紙のように表示が維持され、バックライトがなくても光に照らせば視認できるという特徴を持つ。消費電力は圧倒的に少なく済み、目の疲れが少ないというメリットもある。電子書籍に最適な技術だとされ、キンドルを始めとする数多くの電子書籍リーダーに採用されてきた。
この本格的な普及品を世界に先駆けて04年に日本で販売したのがソニーだった。06年には新開発した端末「リーダー」を引っ提げ北米市場に参入。翌07年10月には操作性を向上させ、デザイン性を高めた新版を投入する。アルミ板を押し出し成形することで継ぎ目を作らず、強度と美しさを兼ね備えた「8ミリ」の薄いボディを実現した。
電子ペーパーの弱点だった画面の書き換え速度や、残像も大幅に改善。価格は300ドルと当時にしては安価な新製品は、読書家の中高年を中心に人気を博し、「インダストリアル・デザイン・エクセレンス・アワード」など世界の名だたるデザイン賞にも選ばれる。ソニー・リーダーは、北米の電子書籍市場をけん引する“リーダー”として順調な船出をしたはずだった。ところが……。
■「キンドルには『やられた感』があった」
米アマゾンが07年11月、キンドルで電子書籍市場に参入すると風向きは一気に変わる。アマゾンが投入した初代キンドルは、キーボードが画面下部に付いている以外は、見た目も性能もソニーの端末と似ていた。が、コンテンツとその入手方法が大きく違った。携帯電話網を利用した通信機能が搭載されていたのだ。
利用者はいつでもどこでもキンドル向けの電子書店にアクセスでき、10万タイトル以上の電子書籍をほぼ9.99ドルで購入することができた。しかも、その通信利用料は無料。ソニーはというと、電子書籍の購入はパソコンで行い、USB経由で端末にデータを移す必要があった。しかも対応する電子書店の品ぞろえは数万冊で、価格は十数ドルとキンドル版より高かった。
新たなビジネスモデルを持ち込んだキンドルのデビューは、米国のみならず世界中の話題をさらった。北米での電子書籍事業開始とほぼ同時に同事業の責任者となった野口事業部長は、当時の状況をこう振り返る。
「電子ペーパーの端末で、他社に負けていると思ったことは一度もない。ソニーらしく、ものづくりに徹底的にこだわり、常に我々が先に先に動いていた。競合他社のみなさんは、我々の進化を見て、追随してきた。ただ、通信機能を搭載したキンドルには、本音で言うと『やられた感』がありました。アマゾンさんが非常に素晴らしいビジネスモデルを作ってきた」
ソニーで電子書籍事業を統括するデジタルリーディング事業部の野口不二夫部長
「携帯電話モジュールの搭載は想像していたけれど、料金プランがどうなるのかは、なかなか見えていませんでした。当時、ソニー社内では、携帯通信を載せるんだったら、多少お金を(利用者から)いただかないと回らないよねと議論していた。本を買いにいくのは、電車賃もかかるし、そのくらいのお金だったら払ってくれるんじゃないかと」
「でもキンドルはコンテンツ購入者のネットワークコストをゼロにした。これに、非常にショックを受けて、我々も2年遅れましたけれど、09年には3G搭載の新機種で追随しました。そうやって、お互いが切磋琢磨(せっさたくま)して、北米での電子書籍ビジネスが急激に大きく伸びてきたんじゃないかなと思っています」
■「端末やコンテンツでの差はない」
キンドル登場後もソニーは草分けの意地にかけて、キンドルと同等か、それ以上の端末開発にこだわった。08年、ソニーは電子書籍リーダーで初めて「タッチパネル」を導入。09年にはキンドルと同様、通信料無料の3G搭載モデルをキンドルと同じ399ドルで投入して追いつくと、翌10年には、これも業界で初めて赤外線方式のタッチパネルを搭載した新機種で攻勢をかけた。従来方式のタッチパネルは電子ペーパーの上にスクリーンを張っていたため視認性が損なわれていたが、それを改善した。
当初は差を付けられていたコンテンツの量や価格も、アマゾンに遜色ない水準まで差を縮めた。新刊本に関して言えば、タイトル数、価格ともに「ほとんど差はない」(野口事業部長)という。
しかしソニーは、後発のアマゾンに抜き去られ、差を縮めることができなかった。米調査会社のIDCによると、昨年4〜6月の段階で、電子書籍リーダーの世界シェア首位はアマゾンのキンドルが約52%。2位は米大手書店、バーンズ&ノーブルの「ヌーク」で21%。残りを、ソニーに加え、楽天が買収したカナダに本拠を置くコボや米パンデジタルなどが数%ずつ分け合うという状況だった。
各社とも累計の端末出荷台数を明らかにしていないため、現時点での正確なシェアは分からない。ただ、ソニーが北米市場で一定の存在感は見せているものの、アマゾンに大きく水をあけられているのは確かだ。「端末では負けていない」「コンテンツも差があるとは思わない」。そう自負する野口事業部長は、引き離された理由をこう話す。
■「ソニーは『ハード』から、アマゾンは『サービス』から入る」
「ソニーは『ハード』から入りますけれど、やっぱりアマゾンさんは『サービス』から入られているなと。端末自体の価格も、先行して低価格を打ち出していった。それと、米国ではやはり、ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO=最高経営責任者)という存在自体が大きかったんだろうと思います」
「国民性なのか何なのか、米国人はヒーロー、カリスマ的な人が引っ張っていくというのが大好き。ソニーはそこまで対抗できるような『顔』が打ち出せなかった。アマゾンのマーケティングというか、(消費者との)コミュニケーションは、やっぱりわかりやすい。そこは勉強すべきところが多いと思っています」
サービス、ヒーロー、分かりやすいコミュニケーション……。それらのキーワードを象徴するのが、毎度、ベゾスCEO自らがサプライズを演出する、圧倒的な「低価格戦略」だろう。
アマゾンはソニーが採用する新技術を取り入れつつも、年々、キンドルの端末価格を戦略的に下げ続けた。キンドルはハード商品ではなく、アマゾンのコンテンツや通販商品を販売するための「窓口」という考え方のもと、端末価格の値下げ分をサービスで吸収するサイクルを生んだ。
■端末の低価格戦略が生む先駆者のイメージ
ソニーが3G搭載モデルをアマゾンと同価格で投入した09年、アマゾンは100ドル以上の値下げを断行する。10年8月に登場した第3世代の価格は「Wi-Fiモデル」で139ドル、「3Gモデル」で189ドルまで下がった。アマゾンは、端末部品のコスト削減やキンドルを通じたコンテンツ・商品の販売に加え、年会費を払うとさまざまなサービスが受けられる「アマゾン・プライム」という会員サービスの収入も上手く組み合わせ、値下げ分を吸収していった。
11年11月に登場した第4世代キンドルの廉価版。価格は79ドルから。タッチパネルではなくカーソルで操作する
11年4月には、キンドルに広告を表示する代わりに端末価格を30ドル値引く「広告モデル」の販売も開始。同年11月に投入した第4世代では、ついにキンドルシリーズの最低価格が79ドル(広告表示あり、Wi-Fiモデル)と100ドルを大きく切り、世間を驚かせた。
ベゾスCEOが演出するサプライズはこれにとどまらない。第4世代には、モノクロの電子ペーパーではなく、カラー液晶を搭載したタブレット端末「キンドル・ファイア」も仲間入りを果たした。その価格は、iPadの半額以下、199ドル。性能はiPadより大きく劣るものの、圧倒的な低価格に米国人は飛びついた。
この間、米大手書店のバーンズ&ノーブルや、カナダに本拠を置くコボも、100ドル台の安価な電子書籍リーダーでアマゾンを追随。ソニーも、画面を小さくした廉価版を115ドル前後、上位機種でも130ドル(Wi-Fiモデル)からとし、アマゾンが起こしたデフレの波に必死で食らいつこうとしている。だが、キンドル・ファイアは昨年末までに470万台も出荷されたとの調査報告もあり、電子書籍リーダーとタブレット端末をあわせると、さらにアマゾンが競合を引き離している可能性が高い。
ソニーに光明はないのだろうか。
確実に言えることは、お膝元の日本では先行して市場を開拓しているということだ。04年に国内で発売した電子書籍リーダーは約3年で撤退を余儀なくされたが、10年12月、米国育ちのソニー・リーダーで再度、国内市場に参入済みだ。
■3Gモデルの通信料、最大2年無料
ソニーが11年秋、北米に続き日本にも投入した新型の「リーダー」。3G搭載モデルの市場価格は2万5000円前後。通信料は最大2年間無料
「日本での初動は、予想通りの売れ行き。11年11月には3Gの通信料を組み込んだ製品も投入し、日本でもこういうモノができるんだということを他社よりも先に実現できた。書籍購入にかかる通信料は最大2年間、無料。書籍購入以外のネット利用ができるプランでも、月額580円で使い放題。日本でも低価格なネットワークサービスができることを証明したことは、大きな意義がある」
「日本の電子書籍市場のスタートが米国に比べて遅れたのは事実。なぜかというと、日本語は『縦書き』という特殊性があるなど、電子化の労力がすごくかかるから。米国と違い、著者と電子化の契約もしてこなかった。ただ、立ち上がりは米国に比べて早いと感じています」
「10年12月にソニーが再度、国内市場に参入して1年で、状況は大きく変わった。最初の頃は、大手出版社に行っても電子書籍担当が1人しかいなかった。それが今では各社、ちゃんとした電子書籍の事業ユニットを持っていて、その上に取締役も付いている。ビジネスとして電子書籍をどう組み込んでいくのかを、出版社のみならず書店や印刷会社も含めた出版業界が意識しながら動いている。あと2、3年で、米国に追いつくのではと見ています」
文庫本サイズで廉価版のリーダー「PRS-350」はタッチパネル付きながら1万円を割る市場価格。北米では115ドル前後
お膝元での事業展開に自信を見せるソニー。日本の電子書籍市場が急伸しない理由として、小規模な電子書店が乱立し、規格もバラバラで、出版社が提供する電子書籍のタイトルも少ないことが挙げられてきた。その中でソニーは確かに、月に数千タイトルを地道に追加し、今年4月時点のタイトル数は国内最大規模の約3万2000(コミック除く)まで増えた。
ソニーは国際標準として用いられている「ePub」というファイル形式を採用。直営の電子書店「リーダー・ストア」に閉じることなく、同じファイル形式を扱う「紀伊國屋ブックウェブプラス」や「楽天ラブー」で購入した電子書籍もソニー・リーダーで読めるようにするなど、市場拡大の努力を続けてきた。直営書店の売り上げも日本の中では好調。「コミック以外の書籍では、ソニーのリーダー・ストア経由で売れる部数が一番多い」と話す大手出版社は多い。
ソニーは、凸版印刷やKDDIなどと共同で設立した電子書籍の流通事業会社「ブックリスタ」を持っていることも強みだ。ブックリスタは出版社から委託される形でリーダー・ストアを始めとする各電子書店に電子書籍を配信している。最近では、小学館など大手出版社と組んでオリジナルの電子書籍を開発するなど、新たな試みにも挑戦している。
こうした実績は、日本の出版業界固有の事情を理解し、出版業界と二人三脚で市場開拓に努めてきた賜物(たまもの)だと野口事業部長は話す。そして、その手法はグローバル展開にも生かせると。
■「キンドルがうまくいっているのは米国と英国くらい」
「キンドルが入ってくるからといって、その国の市場が一気に立ち上がり、キンドルが制覇するとは思っていません。実は米国で生まれたキンドルのビジネスモデルが米国以外でフィットしていると言えるのは、同じ英語圏の英国くらい。キンドルが参入しているフランスもスペインもドイツも、北米のカナダすらも、米国と同じようにはうまくいっていないように思えます」
「一方ソニーは、まだ大成功したと言える国はないながらも、すでにアマゾンよりも多い20カ国以上で電子書籍リーダーを販売している。出版業界というのは、言語に阻まれた各国の文化・歴史を背景に、各国独自に育まれてきた。例えばドイツでは、日本の取次にあたる大手の流通会社1社の力が非常に強い。そうした各国固有の事情を研究したうえで、その国の出版文化に合わせながら、ソニーはアマゾンより広範囲でビジネスを育てようとしています」
「家電などの既存事業で100カ国以上に展開していることもソニーの強み。昨年12月に販売を開始したロシアなど、欧州ではソニー・リーダーの勢いがいい国がたくさんあって、まさに今、市場が動いている実感や手応えを感じているところです」
確かに、書店を含めた出版業界に「破壊的イノベーション」をもたらすキンドルには、日本を筆頭に、思うようにグローバル展開が進んでいないという「弱点」もある。ソニーが端末作りにこだわり、ソフトやサービス面で競合の後じんを拝する「ハード依存」から脱却できれば、まだ成算はあると言える。
「ソニーは電子書籍リーダー市場で2012年度までに世界シェア40%を目指す」――。今から約2年半前の2009年11月、ソニーのハワード・ストリンガーCEO(当時)は、こう力強く宣言した。残された時間は少ない。
(電子報道部 井上理)