国防大臣と言うことですので、改めてチェックしてみました。野田政権は、これまでとは打って変わった人物を選定、辺野古移転〜集団自衛権主張まで、これまでの自民党国防理論も誘導して来た人物です。現場もよく解っており、外交手腕もあり、「やり過ぎ」を心配せねばならないかもしれません。
内閣改造:防衛相に内定した森本氏 安保などの専門家− 毎日jp(毎日新聞)
防衛相に内定した森本敏拓殖大大学院教授(71)は防衛庁、外務省などでの実務経験をもとにした安全保障論や国際政治などの専門家として知られている。テレビの討論番組への出演や講演なども積極的に行う一方、自民党政権時代から安全保障問題で政界と深く関わってきた。森本氏の起用は、その見識に加え、国会対策の観点から「自民党の批判封じ」の狙いもあるとみられる。
森本氏は、防衛大を卒業後、航空自衛隊に入隊。その後、外務省に移り、情報調査局安全保障政策室長などを経て退職し、安全保障の研究者となった。
自民党政権時代は外交、安全保障のアドバイザーとして同党の部会などに出席し、安倍晋三政権下では日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に向けた首相主宰の会議のメンバーを務めた。09年8月には浜田靖一防衛相(当時)の下で、防衛相補佐官に就任したが、政権交代のため約1カ月で退職した。
日米同盟の強化が持論で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題では一貫して同県名護市辺野古への移設を主張してきた。鳩山由紀夫政権時代の10年には、普天間問題をめぐる迷走に「鳩山政権の政策は国を誤る道としか思えない」と批判していた。【西田進一郎】
森本敏が伝えたいこと - 国際・国内情勢を読み解く!現状分析から将来まで - まぐまぐ!
冷戦が終わって18年になると言うのに、まだ、冷戦後の国際秩序はできず、かえって国際社会は混迷を深くしている。
国内も政治・経済・社会とも不安定で定まらず、多くの人が、豊かで安定した生き方を模索しながら、それは当分、望むべくもないと思い始めている。政権は毎年、猫の目のごとく代わり、経済は金融不安に動かされ、社会では不可解な事件や事故が多発し、食の安全や振込み詐欺・汚職が後を絶たない。
親が子を殺し、子が親を殺し、行きずりの無差別殺人が毎週のごとくである。教育の現場が崩壊し倫理観や道徳観と言う言葉さえ、死語になりつつある。経済改革・社会改革は必要だと皆で賛成しては見たが、その結果はあらゆる格差が広がり、地方や貧者が見捨てられ、地方に行くと商店街は軒並み、昼間からシャッターが下りて人気もない。一泊1500円のDVDショップに寝泊りして放火に巻き込まれて死亡する人が15人もでるような社会はどこか歪んでいる。この残酷極まりない実態が、現実の日本社会なのである。
現在の世界は生き残りの時代である。発展や成長を期待できる人はそうすればよいと思う。しかし、多くは、それよりもいかにして、この困難な時代を生き抜き、会社や店舗の倒産を防ぎ、家庭や親を守り、だまされることなく傷つくことなく日々を過ごすかという、簡単なはずで、難しい問題に直面している。
日本がいつからこのようになったのであろうか。それはたぶん、バブルがはじけてからのことであり、戦後半世紀たった頃であろう。即ち、戦後半世紀で一つの時代が通り過ぎ、その次の時代に見合うようなシステムを新たに作りえなかった過誤を我々は、まだ解消できずに苦しんでいるのかも知れない。
だとしても、我々はいま、次の時代に向けて何を考え、何を求め、何をしなければならないのであろうか。日本を取り巻く国際社会はどうなり、その中で日本はどのような国になるべきであろうか。国内社会はいかなる状態にあるべきなのか。それはできるのであろうか。そして、できなければどうなるのか。
我々が、今日、取り組むべき問題はこのように実に根本的な問題であるように思う。そして、私のように、最早、余命いくばくもない人間は次の時代に向けた指針を示し、若い人はそれを自分なりに解釈して実行できることを進めていく。それが次の時代を作る我々の使命なのであろう。
これから、国際社会や国内社会が直面する諸問題について、いくつかの視点や観点を示してみたい。それを解決すべき政策上の指針を示してみたい。その中から、読者が自分で選択できるような問題提起もしてみたい。それらを通じて自分も、自分という人間を見直してみたいと考える。
森本 敏(もりもと さとし、1941年3月15日 - )は元自衛官・外交官、安全保障研究者(国際政治、安全保障論、軍備管理、防衛問題)。拓殖大学大学院教授・海外事情研究所所長、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)運営委員。
外務省情報調査局企画課安全保障政策室長、外務省大臣官房領事移住部領事移住政策課長、野村総合研究所主席研究員などを歴任した。
生誕 1941年3月15日(71歳)日本 東京都 出身校 防衛大学校
タフツ大学 職業 安全保障研究者
拓殖大学大学院教授
来歴・人物
東京都生まれ。大阪府豊中市育ち。豊中市立第六中学校、大阪府立豊中高等学校、防衛大学校本科卒業(電気工学専攻、第9期生)。1965年航空自衛隊入隊。1977年外務省アメリカ局(現・北米局)安全保障課に出向。1979年航空自衛隊除隊、外務省に正式入省。1980年タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士課程修了。
在ナイジェリア日本国大使館参事官、外務省情報調査局企画課安全保障政策室長などを経て、外務大臣官房領事移住部領事移住政策課長を最後に1992年2月20日退官。同年野村総合研究所主席研究員(2001年3月退職)。1995年より慶應義塾大学・同大学院にて非常勤講師を兼任。1997年より中央大学・同大学院にて客員教授(2002年退任)。1999年より政策研究大学院大学(2003年退任)、聖心女子大学非常勤講師を兼任。2000年より拓殖大学国際学部教授。2005年より同大学海外事情研究所所長兼同大学院教授(現職)。2009年より東洋大学客員教授(2010年3月退任)。
実務経験を経た安全保障研究者として、政府審議会等に有識者として参加する場合も少なくない。また、朝まで生テレビやたかじんのそこまで言って委員会などのテレビ番組に多く出演しており、自衛隊や防衛政策を一般市民にわかりやすく説明している。
2003年2月「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」を新聞で発表、イラク戦争を肯定的に評価する立場から産経新聞紙上で論を展開しこれにより2004年第20回正論大賞を受賞している(イラク日本人人質事件の際には自己責任論を説いた)。親米保守とみなされる一方で、「自由と民主主義」を大義名分とし、それを武力によって導入しようとイラク戦争へ突き進んでいったブッシュ政権に対して「アメリカは気が狂れているのではないか」などとも評していた。
他の産経新聞系保守派とは一線を画し、ポスト小泉に一番ふさわしい人物として、安倍晋三ではなく福田康夫を推すなどした。
2008年10月から、まぐまぐより有料メールマガジン「森本敏メールマガジン〜国際・国内情勢を読み解く!現状分析から将来まで〜」を発行している。
2009年7月14日、防衛省は同年6月3日に公布された改正防衛省設置法に基づき新設される防衛大臣補佐官への内定を発表した。8月1日付で就任したが、鳩山由紀夫政権への交代を前に、9月11日付で退職。2011年7月末に公式Facebookページを開設。講演情報やテレビ出演情報、雑誌掲載情報などを見ることができる。
2012年6月4日、野田佳彦首相からの指名により、参議院で問責決議を受けた田中直紀に替わる新たな防衛大臣となることが報道された。