林業復活のヒントになる「副業型自伐林家」の試み:日経ビジネスオンライン
国産材は工夫次第で生かせる
第1回、第2回の連載で触れたように、日本で利用可能なバイオマスの半分以上は森林からのものである。再生可能エネルギー利用量の半分以上を占めるバイオマス利用を今後に拡大していくには、林業振興が不可欠である。
日本の人工林の年間成長量は、1億立方メートル以上(立木材積)と推定されている。最近の日本の木材需要量は7000万立方メートル程度(丸太材積)であり、その5割程度は十分まかなえるだけの資源量が存在する。また、価格的にも、外材よりも国産の杉材の方が安価である。にもかかわらず、なぜ、日本の木材自給率は2割台なのだろうか?
日本林業はなぜ衰退したのか
林業は植えてから伐採まで数十年、場合によっては百年以上かかる、世代を超えて引き継がれていく産業である。日本林業衰退の原因も、第二次世界大戦以前までさかのぼる。
戦争中および戦争直後、日本は旺盛な木材需要がある一方で、海外からの輸入はできず、国内資源でまかなうしかなかった。全国の山は過剰に伐採され、各地にはげ山が広がっていた。そうしたことから、その後の木材需要の増加も見込んで、1000万ヘクタール近い「戦後の拡大造林」が行われた。
1964年に、木材需要増加や木材価格上昇を見込んだ「林業基本法」が制定されたが、需給見通しは外れ続け、林業政策は林業の競争力を強めることができなかった。
1960年代以降、植えたばかりで人工林の平均林齢は若く、育てる林業の時代が長く続いた。この時期は収入より支出が多く、育林の費用を補助金でまかなううちに、各地の森林組合は組合員の森林管理よりも補助金の獲得を目指すようになる。造林、間伐、作業道整備といった作業を実施するかどうかは、補助金がつくかつかないかで判断されるようになった。森林の経営が育林から最終的な伐採・搬出まで統合されたものではなく、補助金とその要件に左右されるようになっていったのである。
近年、温暖化防止の吸収源対策で何百億円もの資金を投入して大面積の間伐が行われたが、搬出費用が出ないため、その多くは「伐り捨て」された。主幹となる林道整備は国などによって進められたが、民有林内の作業道整備は、補助金を受けても赤字になる(森林所有者の負担が発生する)ため進まなかった。
また他の政策にも共通するが、この半世紀間に行われたさまざまな事業の結果についてほとんど検証されなかった。官主導林政の基本的な枠組みが木材景気に沸いていた1950〜60年代につくられ、本格的な軌道修正のないまま続いた。森林計画の形骸化とともに、大面積の皆伐など問題のある施業を規制することができなくなった。森林の伐採は、市町村に届け出させた段階でチェックすることになっているが、実際にはほとんど機能していない。
現在、戦後植林した木が40〜50年生となり、収穫の時期に差し掛かっている。だが作業道が整備されておらず、補助金で間伐しても伐り捨てたり林地に放置されている残材などが2000万立方メートルに及んでいる。
国産材はなぜ使われないのか
国産材の大半は、木造戸建て住宅に使われている。国産材の消費量が減った理由として、よく「安い外材に押された」と言われるが、これは正確ではない。1960年代、供給量が少なく需要量の多かった時代は、材の質が悪くても売れた。表示された寸法より細い、体積が少ない、納期を守らない、市場価格が高くなれば契約した価格をつり上げる、大量注文すると単価が上がるといったこともまかり通っていた。
外材が解禁され、構造材に外材が入ってくるようになると、国産材は、役物(やくもの)と呼ばれる銘木やヒノキ材に活路をみい出し、むしろ多労働投入型の林業・木材産業へと移行していく。
一方、川下ではハウスメーカーが登場し、大量に画一的な住宅を供給し始めた。ハウスメーカーは、均一な品質、大量仕入れ、安定・大量供給によるコスト削減を行い、木材を事前にカット(プレカット)して工期を短縮する。工務店が半年かけて建てる住宅なら材が自然に乾燥していたが、工法の変化により、人工乾燥によって含水率が一定に管理された材が求められるようになった。しかし多くの製材所には、値段の張る人工乾燥施設を導入することは難しく、国産材で人工乾燥されているのは、現在も3割程度にすぎない。
さらにハウスメーカーは、柱など構造材が見えない大壁工法や、プレハブパネル工法、ツーバイフォー工法などを採用し、従来の真壁工法が衰退していく。床の間で高級感を演出してきたが、ライフスタイルの変化から畳や和室がない住宅もしだいに出現してきた。それにともない、「役物」の需要も少なくなった。現在、構造材に加えて、フローリングや扉、壁などの内装材で木材需要はあるが、国産材はこうした商品の開発に後れをとるようになった。
世界の木材需要は、中国やインドなど新興国の成長にともない、増大傾向にある。国際的に森林資源保全の動きも活発になっており、日本は以前のように自由に輸入しにくくなっている。こうしたことから合板・集成材メーカーは、国産材に注目するようになってきた。国内でも大型製材所が建設され、人工乾燥し、 品質管理と情報化を進める企業も出現するようになった。林野庁も新流通・加工システムや新生産システムを導入して、こうした低コスト化を進めている。
現在、合板、集成材、LVL(木材をかつらむきしたベニヤを、繊維方向をそろえて接着したもの。柱や梁などに利用される)などは売れるが、それらの材料となる原木価格はあまり高くない。
施主の8割以上は木造住宅を希望している。林野庁のアンケートでは、8割の回答者が「品質やデザイン、価格に違いがなければ」国産材を選ぶと回答するなど、国産材嗜好も強い。だが、国産の乾燥材が少なく、内装用商品も少ない。現在の木造住宅需要に合った国産材が少ないため、利用しにくいのが現状である。ハウスメーカーにとっても、価格、品質、供給安定性などの条件を満たせば国産材を利用しやすいが、現状では、JAS(日本農林規格)のような規格に適合する材が少ないなど、課題は多い。
さらに、最終ユーザーである施主に目を向けることも重要である。家庭における購買決定権はほとんど女性が持っているが、「30代の女性はどんな家を建てたいか」という観点が、いわゆる林業の川上(森林所有者)、川中(木材加工業者)にほとんどないように見える。国産材、地域材をアピールするだけでなく(正直、それだけでは購入動機として弱い)、健康面でのメリットや快適さなど施主の関心に刺さるマーケティングや、木のよさや特徴について伝える消費者教育もさらに必要となろう。
日本の林業が産業となるためには、ユーザーのニーズにあった商品をビジネスのルールにもとづき供給するという基本を満たすことが、まず必要ではないだろうか。
ドイツなど欧州の成功を参考に
これに対し、ドイツなどヨーロッパにおいて林業は産業として成立している。高い人件費、急峻な地形、小規模所有など日本と共通する条件を持つ場合もありながら、なぜこのように明確な違いが出てきたのだろうか。
そのポイントとして、(1)木材資源の成熟、(2)フォレスター(森林管理官)などによる地域の森林管理システム、(3)機械化による生産性向上、(4)路網整備が完成している−−といった点が挙げられる。
1980年代、ヨーロッパも外材の流入で材の価格が下がる一方、賃金は上昇していた。危機感を抱いた関係者は、生産性の引き上げや路網整備に力を注ぎ、産業としての林業・木材産業育成に成功した。たとえばドイツにおける森林・木材産業の売上高は約26兆円(GDPの5%)に上り、雇用数(132万人)は自動車業界(75万人)を大きく超えている。
こうした状況を受けて、林業の抜本的改革、再生を目指して、政権交代直後の2009年末に政府は「森林・林業再生プラン」を発表した。
(出所:林野庁)
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2011年4月には森林法も改正し、所有者が不明な場合の適正な森林施業の確保や、無届け伐採が行われた場合の造林命令・伐採中止命令、森林の所有者となった際の届出義務などが規定された。森林所有者が作成する森林施業計画は、森林経営計画に改めた。今後は、集約化などによる効率化と適切な施業が進むことが期待される。
地域に合った「副業型自伐林家」の広がり
新しい動きとして注目されるのが、「副業型自伐林家」の広がりである。高知県のNPO「土佐の森・救援隊」は、地域に「バイオマス集積基地」を設けるとともに、商店街の協力を得て地域通貨を活用しながら、木材を高めに買い取るしくみをつくりあげた。集まった材は、品質に応じて、用材、製紙用、熱利用(バイオマス)などに仕分けし、販売する。
林業専業で食べていくのはハードルが高いが、サラリーマンや農家が副業として休日に山に入り、安価な軽架線で木材を降ろし、軽トラックに積んで集積基地まで運べば、何千円かの収入になる。「(品質の低い)C材で晩酌を!」をキャッチフレーズに参加者を拡大している。
親から継いだ山林が気にながら放置していた山主がいる一方で、時間があって収入が欲しい農山村の状況にすっぽりはまったこともあり、岐阜県恵那市、鳥取県智頭市など、全国数十カ所に広まりつつある。
このしくみは、バイオマス集積基地の設置や運営、林業研修などに手間と時間がかかるが、地域の身の丈にあった優れた方法であろう。
震災被災地でもノウハウを活用
この「自伐林家」は、東日本大震災の被災地にも広がっている。岩手県大槌町は、町長も含め津波で多数の死者を出すなど、甚大な被害を受けた地域である。漁業が主産業だった吉里吉里地区では、漁船も港も使えなくなり、年配の被災者には求職も難しい状況である。
この地域に、被災者がお風呂に入れるようにと、NPOなどにより、薪ボイラーによるお風呂の支援が行われた、被災材を薪にする作業も、次第に被災者自身が行うようになっている(写真)。この薪が「売れるのではないか」というボランティアの発案で通信販売を始めたところ、メディアに大きく取り上げられたこともあり、全国から注文が殺到した。その後、被災材が片づけられ薪の販売はいったん終わったが、この経験は放置していた山を見直すきっかけとなった。土佐の森・救援隊などにより林業研修が行われ、すでに材の搬出・販売も始めている。
林業の状況について駆け足で説明したが、字数の関係上、かなり強引に要約した。さらに詳しくは、拙著『バイオマス本当の話』(築地書館)、梶山恵司『日本林業はよみがえる』(日本経済新聞出版社)、田中淳夫『森林異変』(平凡社)、中嶋健造編著『バイオマス材収入から始める副業的自伐林業』(林業改良普及双書)などをご参照いただきたい。