日本経済新聞 2012.10.25
かつて日本が世界をリードしていた半導体素子製造は、海外企業の躍進で日本の企業は苦戦を強いられている。その打開策を探ろうと、新たな一歩を踏み出しているのが、北陸先端科学技術大学院大学のグリーンデバイス研究センター(石川県能美市)だ。
ナノ液体プロセスでつくった半導体素子の一つ一つを徹底して確認
仕事着に身を包み、マスクで顔を覆ったスタッフが、ほこりなどを排除したクリーンルームで製品の確認を行う。細かな半導体素子を扱うスタッフの表情は真剣そのものだ。
同センターは半導体デバイス、磁性材料などを専門とする教授や企業出身の研究者らで構成。省資源・省エネルギー技術による装置などを生み出すことを目的に昨年4月、発足した。企業などと連携して新世代材料をテーマにしたセミナーなども行っている。
同大学の半導体研究が新たな段階を迎えたのは昨年2月。液体シリコンなどの半導体材料を、基板の表面にインクのように塗って加熱するだけで完成する太陽電池を開発、発表した。直後の原発事故による電力供給逼迫もあり、注目を集めた。
その基になったのがセンター長で教授の下田達也(60)がたどりついた「ナノ液体プロセス」と呼ばれる製法だ。
半導体素子製造で主に用いられている、気体にした半導体材料を基板全面に何層にも堆積させ、不要な部分を削る方法は、無駄になる部分が多く、数百の工程や巨額の費用が必要になる。
そこで下田がまず思いついたのが、半導体材料を基板に吹き付けるインクジェット方式の製法。この方法でコストを数分の1に減らすことができる。さらに、より微細な素子をつくることができるナノ液体プロセスの製法を考案した。
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下田はセイコーエプソンで長く磁石や半導体開発、製品製造の効率化の研究に携わった。実績を買い同大学が1999年、客員教授に招いた。2006年にナノ液体プロセスの研究が科学技術振興機構(JST)の研究推進事業に選ばれ、同大学の半導体開発は大きく前進した。
だが、道のりは平たんではなかった。研究推進事業に選ばれた当初、下田は遠隔地の企業から知り合いの研究者を集めようと腐心した。しかし、家族の反対に遭うなど人材は思うように集まらなかった。
「人繰りに加えて設備の調達なども、すべてゼロからのスタートで、途方に暮れたこともあった」と下田。それでもひとつずつ施設を整え、研究を積み重ねる中で、下田の周りには「日本のものづくりを変えてみたい」と賛同する人が徐々に集まるようになったという。
その研究が結実した一つが昨年2月に発表した「塗る太陽電池」と呼ばれるアモルファスシリコン太陽電池の新しい製造技術だ。下田は「スタッフにはナノ液体プロセスの研究が初めての人もいたが、逆に良い影響を受けた。先入観を持たずに研究を進めることができた」と話す。
東日本大震災の発生以降、関心が高まり続ける再生可能エネルギーの開発。同センターへの企業の問い合わせも増えている。今後は半導体素子の微細化の研究に加え、地域の企業がどのような研究・開発に期待を寄せているのかの把握も進めるという。下田の挑戦は広がり続ける。
=敬称略
(斎藤公也)
北陸先端科学技術大学院大学|この人に聞く マテリアルサイエンス研究科 下田達也教授
マテリアルサイエンス研究科教授。東京大学博士(工学)。セイコーエプソン株式会社、本学客員教授などを経て2006 年より現職。
専門は、微小液体プロセス、電子デバイス、有機デバイス。 下田達也教授の研究グループは、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業ERATO型研究の一つとして、液体シリコン(Si)材料の物性の解明と制御技術に4年間取り組んできました。そして世界で初めて、液体Siから優れた半導体特性を有するアモルファスSi薄膜の作製に成功。さらに、その塗布プロセスによってp -i -n型アモルファスSi薄膜太陽電池を試作し、高い性能を確認しました。これまで夢の技術とされてきた製造プロセスが現実のものとなったのです。
平成23年2月に発表された4つの研究成果、Siインクの開発、ポリシラン膜の塗布技術の確立、優れた半導体特性のアモルファスSi薄膜の開発、塗布プロセスによる高効率の薄膜太陽電池の開発について、下田教授にご説明いただきました。 半導体プロセスの新境地を拓く液体Siに挑む
Siは、結晶質の固体材料としては半導体の主材料であり、現代社会を根底から支えています。産業としては30兆円を超える規模です。また、気体材料としては、薄膜形成プロセスにより液晶表示体のトランジスタの製造に広く利用されています。その技術は薄膜太陽電池にも応用され、現在、その生産量は急激な伸びを見せています。
私たちが着目したのは、Siの第三の形態である液体です。液体Siによる電子デバイスの作製については長年考えられていましたが、そもそも液体Siの物性が解明されていませんでした。
Siを液体にするには、二つの方法があります。一つは1400℃ほどで溶かすという方法ですが、これでは電子デバイスは作製できません。もう一つは、溶液を作って焼成するという方法です。半導体になるのはSiと水素の化合物だけで、加熱によって水素が脱離します。しかし、Siの溶液を作るのは難しく、しかも酸化しやすいため扱いにくい。それでも、液体Siができれば、新しい物性やプロセスの発見といった非常に画期的な展開になるのでは、というモチベーションで取り組んできました。
CPSは1973年、ドイツのE.Henggeによって合成されました。その後、私が、セイコーエプソン時代、インクジェット法でトランジスタを作れないだろうか、と考えたことがきっかけになり、平成10年、化学・材料メーカーのJSR株式会社との共同研究が始まりました。
ポリシラン薄膜を形成し、焼成してレーザーを照射するとSiがきれいに結晶化します。これでトランジスタを作製すると電子の移動度が100cm2/Vsという高速なものになりました。一方、インクジェット法トランジスタは、移動度は6cm2/Vsほどでしたが、発想より10年足らずでそれを実現したわけです。このように、平成18年、液体SiからポリSi薄膜トランジスタを作製することに成功し、論文がNature 誌に掲載されました。そして平成19年、その後継研究として今回の研究がスタートしました。 ポリシラン膜の塗布という難関を越えて
まず、液体Siの物性を知ることから着手しました。液体Siは非常に酸化しやすいため、その解析は、グローブボックス内で行う必要があります。
この特注の装置は高額で、ERATOのような一定規模以上の予算がなければできなかったでしょう。
CPSの重合過程を実験と理論面から詳しく研究し、ポリシランの分子量分布、その液体中での形態、経時変化などを正確に把握しました。ポリシランを溶かす適切な有機溶媒も発見し、安定したSiインクを開発しました。ボロンをドープしたp 型、真性のi型、リンをドープしたn型の3種のSiインクです。
次に取り組んだのはポリシラン膜の塗布技術です。これは困難を極めました。液体Siは、塗って乾くとムラになってしまう。シリコン基板、石英基板、ガラス基板へのポリシラン膜の塗布は非常に難しく、液体を塗るということと、液体中の固体物質が膜になるということは全く異なることだと思い知らされました。私たちは、塗布プロセスを科学的に把握する必要があると考え、その基本に立ち返ることにしました。
ファンデルワールス力、それが塗膜性の本質でした。ファンデルワールス力は、物質が存在するところに常に存在する普遍的な力であり、物質のあらゆる現象に関与します。溶液の分散や液体状態、表面エネルギーや界面エネルギー、濡れ性や塗布・製膜性など、従来、経験と勘などで対処されていたものも、ファンデルワールス力を解析することでよく理解できます。
ファンデルワールス力と塗膜性について検証したところ、分子間力の基本パラメータであるハマカー定数がマイナスになると、膜と基板の間に斥力が働いて膜は不安定になり、プラスになると安定する。つまり、膜の安定性はハマカー定数で扱えるということが明らかになりました。
こうして、基板に屈折率の高い材料を用い、ポリシランの分子量を上げ、適切な溶媒を選ぶことで、欠陥のない均一なポリシラン膜の形成に成功し、膜厚の制御もできるようになりました。
ポリシラン膜は、塗布した当初は絶縁体で、光学バンドギャップが大きく透明です。これを焼成していくと水素濃度が低下し、バンドギャップが狭くなって色が付いていきます。400℃で半導体特性を示します。これは、ポリシラン膜が加熱によって脱水素反応を起こし、ポリシラン中のSi原子は4本の結合手を切り離して、再度Si原子同士が三次元的に結合したわけです。この過程でダングリングボンドという未結合手ができますが、その数は1立方cmあたり10の23乗個。半導体での許容濃度は1立方cmあたり10の16乗個で、Siを99.99999%再結合させる必要があります。こうしたことから、これまで、ポリシランから良質なアモルファスSi薄膜は作製できないとされていました。
私たちは、分子量、液体状態、塗布プロセス、焼成条件を詳細に見直し、ダングリングボンドを低減させ、優れた半導体特性を有するアモルファスSi薄膜の作製に成功しました。すでに、既存のプラズマ化学気相蒸着法(PECVD)レベルよりも高い光伝導度を達成しています。
試作太陽電池 塗布プロセスによる薄膜太陽電池を開発、実用化へ
いよいよ、Siインクからp-i -n 型薄膜太陽電池へのトライです。
まず、p 型とn 型のSiインクで作製したドープドアモルファスSi薄膜
が、充分な電気的活性を示すことを確認。また、p -i -n型の界面形成
については、薄膜を形成する温度(約400℃)で、ボロンとリンが真性
Si層に拡散せずに界面を形成できる条件を見出し、良質なp-i -n 型の
界面形成に成功しました。こうした技術を基に、Siインクを塗布して膜を
形成し、焼成してp 型、i型、n 型の半導体を作製、3層を重ねると
太陽電池になります。安定化処理を施し、電極を蒸着すると完成です。
試作太陽電池として3種のセルを作りました。3 層すべてをPECVD
法で作製したセルと比較すると、真性Si薄膜のみを液体プロセスで形成し
たセルは70%、p-i -nの3層を液体プロセスで形成したセルは20%の効
率を得ています。
今後、コストパフォーマンスの高い太陽電池を開発し、実用化をめざし
ます。
性能面では、液体Si材料からさらに高品質な薄膜を作製し、高効率の
タンデム構造を開発します。また、高効率光閉じ込め技術や透明酸化物
電極などを取り入れて最適構造を図ります。コスト面では、低装置コスト
、材料の高利用率、高スループットにより製造の低コスト化、CPSの
合成コストを下げて原料の低コスト化を進めます。こうした高性能化と
低コスト化を実現することで、商用電力に匹敵する発電コストになるので
は、と考えています。
また、本研究の液体プロセスの概念を、真空・気相プロセスでSi薄膜を
作製している分野に導入していきたいと思います。さらに、文字や図を描
いて、それが発電するシステムなどへの展開も考えています。