Quantcast
Channel: 鶴は千年、亀は萬年。
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1727

メモ「湯川秀樹博士の予言、原発が直面する輸入技術依存のツケ 」

$
0
0

よく纏まっています。思わずコピペです。

湯川秀樹博士の予言、原発が直面する輸入技術依存のツケ :日本経済新聞

 原子力発電所の安全性に対する不安を増幅させるような出来事が相も変わらず次々に生じている。昨年夏以降、原発関連の公開討論やシンポジウムでの「やらせ」問題が続々と発覚し、そのうち九州電力では社長、会長の辞任に発展。また、独立行政法人原子力安全基盤機構(中込良広理事長)では「検査手順書の丸写し」や管理ミスによる原発監視システムの停止など緊張感を欠いた組織の実態が表面化している。未曽有の事故の直後にもかかわらず、なぜ体質改善の兆候がないのか。55年前、日本の原発導入は時期尚早と原子力委員会委員を辞任した湯川秀樹博士(1907〜81年)の“予言”は不幸にして的中している。


原子力委員会の初会合に臨む(左から)藤岡由夫、湯川秀樹、正力松太郎、石川一郎、有沢広巳の各委員(1956年1月4日、首相官邸、共同)

原子力委員会の初会合に臨む(左から)藤岡由夫、湯川秀樹、正力松太郎、石川一郎、有沢広巳の各委員(1956年1月4日、首相官邸、共同)


 原発を巡る会合での「やらせ」問題は北海道電力や東北電力、中部電力、四国電力でも判明している。九電のケースが特に注目を集めたのは、同社自ら事実解明のために設置した第三者委員会の調査報告に異を唱え、首脳陣の意に添わない部分を無視したほか、国会の場で一度は辞任を示唆した真部利応社長がその後辞意を撤回したような言動を続けたからだ。

 そもそも九電の「やらせ」問題とは、玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働に向けて経産省が昨年6月26日に開いた佐賀県民向けのテレビ中継説明会において、事前に九電幹部が社内や関係会社向けに「再稼働賛成」の投稿をするようにメールで呼びかけたというもの。調査を行った第三者委は9月末にまとめた調査報告で「やらせ」メールのきっかけを、再稼働賛成意見が増えることを期待すると九電幹部に語った古川康・佐賀県知事の発言にあったと認定したが、真部社長は「無実の方に濡れ衣を着せるわけにはいかない」と記者会見で真っ向から反論した。


九州電力玄海原発の運転再開を巡る「やらせメール」問題で、松下経産副大臣(右)との会談に臨む真部社長(2011年7月8日午後、経産省)

九州電力玄海原発の運転再開を巡る「やらせメール」問題で、松下経産副大臣(右)との会談に臨む真部社長(2011年7月8日午後、経産省)


 さらに、第三者委の報告を受けて同社が10月半ばに経産省に提出した最終報告書でこの知事関与の部分を削除したことから、第三者委の委員長を務めた郷原信郎弁護士と激しく対立。所管大臣である枝野幸男経産相は第三者委の調査を支持する一方、「(九電の対応は)理解不能」「会長、社長の行動が原発周辺の住民の理解を得られるとは思えない」などと九電を厳しく批判した。

 結局、第三者委の報告書がまとめられてから3カ月以上が経過した今月12日になって、九電はようやく真部社長、松尾新吾会長がそろって3月末に辞任する人事を発表した。最後は白旗を掲げる格好になったとはいえ、所管大臣や第三者委を向こうに回して不祥事の事実解明を曖昧にし、自らの“延命”を図ろうとしているように映った九電首脳のモラルハザード(倫理観の欠如)ぶりは、福島第1原発事故で電力業界に厳しい視線が注がれた直後のことだけに一層際立った。

 一方、原子力安全基盤機構の問題からも福島第1原発事故後の危機的状況下とは思えない「弛んだ雰囲気」が伝わってくる。「検査手順書の丸写し」とは、同機構が原発用核燃料などをチェックするための検査手順書(要領書)を作成する際、検査対象先である神奈川県横須賀市の核燃料加工メーカーに原案を作らせ、表紙などを差し替えただけのほぼ丸写しの状態で正式な要領書として採用していたもので、新聞報道で発覚した。

 

東京電力福島第1原子力発電所の(右から)4号機、3号機、2号機、1号機の原子炉建屋(2011年11月12日、代表撮影)

東京電力福島第1原子力発電所の(右から)4号機、3号機、2号機、1号機の原子炉建屋(2011年11月12日、代表撮影)

 丸写しを認めた同機構担当者は、独自に要領書を作成するべきではないかとの指摘に対し、「必要なデータはメーカーでなければ持っていないから協力してもらっている。自前で作ることは不可能ではないが、そんなことをしていたら日が暮れる」とコメントしている(2011年11月2日付毎日新聞朝刊)。

 その後、事態を重視した枝野経産相の指示で、同機構の検査手法や体制を検証する第三者委員会(委員長・柏木俊彦大宮法科大学院大学長)が発足。1月12日に第三者委が提出した報告書では、同機構が設立された2003年当初から「要領書の丸写しが常態化するなど、依存体質があった」とし、「検査の独立性に疑念を抱かせる」と現状を批判している。

 同機構は、99年に茨城県東海村で起きた核燃料加工会社JCOの臨界被曝(ひばく)事故や02年に発覚した原発検査を巡る東京電力のトラブル隠しなどの反省を踏まえ、原子力安全・保安院の機能を補完・支援する組織として設立された。原発や核燃料の検査、全国の原発監視システムの管理などを手がけている。職員は417人(11年10月現在)。機構のサイトには「原子力の安全確保に取り組む専門家集団」という看板が掲げられている。

 ところが、「丸写し」問題が象徴するように、実情は看板倒れも甚だしい。機構は10年度に非破壊検査技術実証など6分野17テーマに及ぶ安全研究を行ったとされ、国から77億5000万円の研究費を受け取っているが、人件費を除く費用の85%を原発関連の公益法人やメーカーなどへの外注費に回していた(11年12月26日付東京新聞朝刊)。

 こんな体質であるがゆえに、本業の原発検査でもミスが頻発している。04年から06年にかけ、実施済みと思い込んで一部の検査をしなかったことが4例(九州電力玄海原発、川内原発、中部電力浜岡原発、日本原子力発電東海第2原発)あったのをはじめ、08年に東電福島第1原発の圧力容器安全弁に対する検査を誤った方法で実施して合格させていたほか、09〜10年には関西電力大飯原発で関電の検査資料の不備を見落として一部の検査を実施しなかったことが明らかになっている。

 

九州電力玄海原子力発電所の3号機(手前)と2号機(2011年6月9日、佐賀県玄海町で共同通信社ヘリから)

九州電力玄海原子力発電所の3号機(手前)と2号機(2011年6月9日、佐賀県玄海町で共同通信社ヘリから)

 

 最近では昨年末、全国の原発の運転状況を監視する「緊急時対策支援システム(ERSS)」が1日以上表示不能になるトラブルを引き起こした。原子力安全・保安院からERSSの管理を委託されている原子力安全基盤機構がメンテナンス作業を怠り、データを保存するメモリーが不足したために情報表示のソフトが機能しなかったことが原因だった。しかも、このトラブルを12月30日午後0時半ごろに把握していながら、翌31日午後3時すぎまで発表しなかったという二重の失敗を犯している。

 チェルノブイリ級の「レベル7」という最悪の事故発生からまだ1年も経過していない。各地の原発は定期検査(13カ月未満に1度)入りを機に次々に運転を停止し、4月には国内54基すべてが止まる見通し。電力業界は供給不足への懸念や代替発電の燃料コスト増などを理由に一刻も早い再稼働を望んでいるが、電力会社のコーポレート・ガバナンス(企業統治)や安全性を支える検査体制への不信感が拭えない中で、政府や周辺自治体は果たしてゴーサインを出せるのだろうか。

 福島第1原発の事故をきっかけに、日本の原発は政策面でもビジネス面でも行き詰まり感が出ている。この現状を半世紀以上前に予見していたのが、49年に日本人として初のノーベル賞(物理学賞)受賞者となった湯川博士である。

 56年に初代原子力委員長に就任した正力松太郎国務相(1885〜1969年)の働きかけで、湯川博士は5人の原子力委員の1人に名を連ねた。だが、就任当初から「米国の技術を輸入して5年間で原発を実現したい」と意気込む正力氏に対し、「輸入技術への過度の依存は自主性を妨げる」と湯川博士は強い懸念を示していた。結局、就任からわずか1年余りの57年3月、湯川博士は「神経性の胃腸障害」を理由に原子力委員を辞任した。

 湯川博士は決して反原発の立場ではなかったが、軍事転用の危険性を含め原子力の巨大エネルギーに対する警戒感は人一倍強かった。また、「自主性」を重んじる姿勢は当時の第一線の科学者に共通するもので、湯川博士に続いて65年に日本人2人目のノーベル賞(物理学賞)受賞者となった朝永振一郎博士(1906〜79年)も54年に「外国の秘密のデータを教わって、物もついでにもらってやれば早道かもしれませんが、それは限られた範囲のなかでの早道で、日本全体の進歩というのではない」と語っている。

 湯川、朝永両博士が主張した「自主性」とは、自前の技術を生み出す気構えであり、戦後の高度成長期以降「ものづくり立国」を目指した日本の産業技術の道筋を示したものと解釈できる。外国の技術を翻訳するだけでは、装置を動かすことはできても、製品を進化させることはできない。

 現在日本で稼働可能な原発はウエスチングハウス社(WH)が開発した加圧水型原子炉(PWR)、ゼネラル・エレクトリック社(GE)が開発した沸騰水型原子炉(BWR)で、いずれも米国メーカー発祥のもの。日本勢では三菱重工業がPWRを、東芝と日立製作所がBWRをそれぞれ手がけ、さらに06年には東芝がWHを買収して傘下に収めてはいるものの、新型炉の開発など原発分野の重要なイノベーション(技術革新)は今でも米国の企業や研究機関が発信源になっている。

 自前の技術がなければ、イノベーションもない。さらにイノベーションを競う環境がなければ、研究者も技術者も育たない。日本の“原子力ムラ”が安全神話にどっぷりと浸かりリスクに鈍感になった背景には、湯川博士が警鐘を鳴らした「輸入技術への過度の依存」がある。

 福島第1原発事故の後、しばしば引き合いに出される数字の中に、原発の安全を担う人員規模の日米格差がある。米原子力規制委員会(NRC)の技術者約3000人に対し、日本の原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構で専門知識を持つ検査職員らは合わせて約200人。米国内の原発は104基で日本の54基のほぼ2倍ということを考慮すると、米国並みに安全スタッフを充実させたければ日本でも1500人の人員が必要ということになる。

 しかもNRCの検査官は厳格さで定評があり、無通告で抜き打ち検査を行う。日本では前述のように検査データ収集の外注などは日常茶飯事のようだが、NRCでは検査官が自ら検査機器を原発に持ち込んで必要な情報を集めることが珍しくない。要するに質量ともに、日本の原発の安全を支える体制の貧困さばかりが目立っている。

 政府は4月に原子力安全・保安院を解体し、原子力安全庁(仮称)を新設して原発に対する安全規制を強化する方針だが、器をいくら作り替えても中身がなければ意味がない。新設の原子力安全庁は、原発推進機関である資源エネルギー庁を傘下に持つ経産省から切り離し「推進と規制の同居を解消する」とうたうが、それで安全行政が即座に機能向上するかというと、話はそれほど簡単ではないだろう。

 米国のNRC並みにスタッフを増強するとすれば単純な数合わせだけでも、現状の保安院と安全機構の人員を7.5倍に拡大することが必要。だが、人材育成はうまくいったとしても時間を要する。その間いかに安全を維持するのか、明確な方向性はまだ示されていない。原発再稼働に国民の同意を求める道は険しい。湯川博士が警告した「輸入技術への過度の依存」のツケが、半世紀の時を超えて巡ってきている。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1727

Trending Articles