大使車襲撃、その時… (丹羽宇一郎氏の経営者ブログ) :日本経済新聞
丹羽宇一郎(にわ・ういちろう) 1939年1月名古屋市生まれ。伊藤忠商事の食糧部門時代に穀物トレーダーとして頭角を現す。98年社長に就任すると翌年には約4000億円の不良債権処理を断行し、V字回復を達成。2010年6月、豊富な中国人脈が注目され、初の民間出身中国大使に起用された。書店経営だった生家で本に囲まれて育ち、財界でも有数の読書家。クラシック音楽鑑賞、書道、俳句と趣味も多彩。
功成り名を遂げて、そして「中国大使」をあえて実行された伊藤忠元社長の物語…頭が下がる思いです。為政者はよく噛み砕いて実行を!
大使車襲撃、その時… (丹羽宇一郎氏の経営者ブログ) :日本経済新聞
12月18日の閣議で辞職が決まり、中国大使としての生活が終わりました。尖閣に始まり尖閣で終わった2年4カ月の在任中、尖閣問題への対応を巡って批判されたこともありました。大使時代に見た日中関係の実相をお伝えしたいと思います。
「俺が一体何をしたというのか。殺すなら殺してみろ」――。恐怖感はなく、ただ理不尽な思いに捕らわれました。8月27日、私の乗った公用車が北京市内で襲撃された瞬間です。同時に「怪我をして苦しむのは嫌だなあ、殺すなら銃弾一発で仕留めてほしいなあ」とも考えていました。幸い、男は特に武器を持っていませんでしたが、公用車につけられた日本国旗を奪われたことは極めて遺憾でした。
伊藤忠商事の社長に就任してから、トップに立つ人間はどこかで危機に巻き込まれる覚悟はしていました。社長就任以降も電車通勤を続けていましたが、ある時、「襲われる恐れもあるから社用車で通勤してほしい」と言われました。「襲われるリスクを完全に排除しようとしたら戦車で通勤しない限り無理。電車通勤を続けるよ」と断りました。あわせてこう、命じ続けていました。「仮に俺が誘拐されて身代金を要求されても、絶対に払うな」と。会社が、日本が、足下を見られるからです。
中国大使を引き受けると決めた時、これほど反日感情が強まるとは予想はできませんでしたが、相応の覚悟はありました。「日中関係は難しくなるからやめたほうがいいのでは」。こんな助言もありました。今回は政治主導の中国大使人事。しかも、日中関係は難しい時期で、必ず批判を受ける局面がくることは予想できました。それでも引き受けたのはきれいごとに聞こえるかもしれませんが、国のため、国益のためです。そのためには傷つき汚れても構わない。伊藤忠の会長就任以降、会社よりも国の仕事を優先してきたのは、名誉やカネ、地位に関係なく、国のためにやるべき仕事があるからです。反日感情の強い現在のような状況でもたぶん引き受けたと思います。
だから襲撃後も仕事が嫌になって辞めようとか、中国が嫌になるとか、そんな気持ちは全くありませんでした。私が中国にとどまり、中国と協調しようとすることが国益につながると考えたからです。
案の定というか、大使時代の言動がいろいろと批判の的になりました。東京都による尖閣諸島の購入計画について英紙に対し「仮に石原知事の計画どおりにやれば、日中関係は重大な危機に遭遇するだろう」との発言への批判が典型です。石原さんの計画については、良いとも悪いとも言うつもりはありません。ただ、日本にとってあの局面で、あの計画を進めることは国益にならないという確信があり、発言しました。批判されたことより、尖閣購入について、もっと様々な意見が出ないことのほうがショックでした。
極端に聞こえるかもしれませんが、この雰囲気は問題のような気がします。自由に発言できるはずなのに、自己保身なのか、個々人が自分で規制して発言せず、自由に発言できないかのような雰囲気を作り上げているからです。誰かに批判されるからですか? 私も批判されましたよ。自宅に脅迫まがいの電話が散々掛かってきました。これは第二次大戦前の雰囲気と似ています。ここを突破しなければ、同じことの繰り返しになってしまいます。
中国への政府開発援助(ODA)を増やすべきという発言も批判されました。中国に橋や道路をつくるためにODAを増やせなどと言う気は全くありません。中国へのODAはどういう使い道かご存知ですか?若い日本人ボランティア70〜80人が国際協力機構(JICA)を通じて2年間、中国全土に散らばって日本語教師をしたり、介護支援をしたり活動しています。彼らの人件費や活動費が削られつつあるからです。日中友好の懸け橋となる彼らをもっと増やしたかったのです。
大使時代、私は中国の各省に出かけていきました。驚いたことにどの地方に行っても反日のテレビ番組を放映しています。軍服を身につけ、サーベルを下げ、銃を構えた日本軍人が悪玉として必ず登場し、共産党が日本軍を撃つというお決まりのパターン。地方では「日本=悪」のイメージが定着しています。これは大問題、どうすればいいのか。中国政府の要人に会うと「いくらなんでもおかしい。改善してほしい」と必ず訴えました。大学に出かけて行って大学生とフリーディスカッションもしました。
等身大の日本人を知ってもらう有効な方法がボランティア活動などを通じて、中国人との接点を増やすことです。「日本人=悪」の固定観念が強く、初めて日本人と接する地方の中国人との交流は簡単ではないでしょう。しかし、2年間の活動後、日本人ボランティアは例外なく、涙ながらに中国人から別れを惜しまれます。献身的に働く日本人に触れた中国人の日本人観は確実に変わっているのです。この活動を広げたかったのです。
中国と仲が悪いからといって予算も減らし、活動も自粛する。それでいいのでしょうか。何のための政治、経済、外交なのか。すべては国民の幸せのため、これに異論のある人はいないでしょう。この原点に立ち返り、どんどん発言し、議論すべきでないでしょうか。
本文は2013年1月9日続きが掲載とのことですが、この本文にはたくさんの感想文章が掲示されています。タイトルをクリックしてお読み下さい!