日経ビジネス記者の眼「日本が世界を率いる『水素社会』 〜3・11がその到来を後押しする理由〜」をお送りします。こちらからどうぞ!→http://nkbp.jp/VYq6li 3・11がその到来を後押しする理由
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※Androidアプリ、iPhoneアプリでご覧の方は、気になる段落を長押しすると保存/共有できます。日本のエネルギーの未来は、ともすると真っ暗なように思える。原子力発電所の停止による火力発電用燃料の輸入増は、2012年度だけで3兆円に達すると言われ、貿易収支に打撃を与える。新興国などとの資源獲得競争は熾烈を極め、燃料調達は簡単ではない。
だが、暗いシナリオがすべてではない。日経ビジネス1月21日号の特集「エネルギー国富論」では、エネルギーを取り巻く環境が熾烈さを増していくからこそ、日本企業が培ってきた超省エネ技術が勝機を生むとお伝えした。
実は燃料調達の分野でも、新しい動きが水面下で進んでいる。3・11の前は“絵空事”にすら聞こえた取り組みが、じわりと現実味を帯びてきたのだ。
「液化水素」という未知の燃料「液化天然ガス(LNG)以外の選択肢が日本には必要です」。川崎重工業新事業企画部の横山稔副部長は言う。新しい選択肢とは「液化水素」だ。川崎重工は豪州で産出する低品位石炭「褐炭」から液化水素を作り、タンカーで日本へ運ぶプロジェクトを進めている。
豪州には膨大な量の褐炭が存在する。水分の含有量が多く、掘り出して積み上げておくと自然発火してしまうため、輸出には向かない。日本が石炭火力発電所や製鉄所で使用しているのは、「瀝青炭」と呼ぶ高品位な石炭だ。
豪州にはラトロフバレーという褐炭の産地がある。褐炭の産地としては世界最大規模で、ここに眠る石炭のエネルギー量は日本の一次エネルギーの40年分に相当するという膨大さだ。現在は、採掘地に隣接する石炭火力発電所で燃料として使っている。発火を防ぐために、採掘してから18時間以内にコンベヤーで発電所に運び込んで燃やしている。
褐炭を発電に使うと、水分を多く含んだ石炭を燃やすために、発電効率がすこぶる悪くなるのが問題だ。ラトロフバレーの場合、約28%にとどまる。日本の石炭火力発電所の平均が40%を超えていることを勘案すれば、その低さがわかるだろう。もちろん、CO2(二酸化炭素)排出量も非常に多い。
豪州は1人当たりのCO2排出量が世界最大の国だ。豪州政府には、CO2排出量を減らしたいという思いがある。そこで、液化水素を志向する川崎重工と思惑が一致。褐炭から液化水素を生成し、日本へ運ぶプロジェクトが動き出した。
同社はラトロフバレーで褐炭をガス化する。その行程で発生する水素とCO2のうち、CO2は「CCS(CO2の回収・貯留)」で海底の空洞へ押し込む。この空洞は、かつて天然ガスを採掘し枯渇した跡地だ。既に豪州政府は2012年2月に約80億円を投じて、CCSの検証も開始している。世界各国で検討が進むCCSだが、ラトロフバレー近海は数ある候補地の中でも最も実用化しやすい適地といわれている。
一方の水素は、超低温に冷やして液化し、タンカーで日本へ運ぶ。扱い方はLNGとほぼ同じ。天然ガスをセ氏-162℃で冷やして液化するのに対して、水素はさらに低い-253℃で液化する。いったん液化してしまえば、1日にタンクから漏れて減る量はわずか0.09%。タンクに入れて長期保管することも、タンカーで輸送することも難しくない。
川崎重工業は、2013年中に技術開発にめどを付けて、パイロット事業に着手する計画。まずは2017年までに少量の褐炭から液化水素を作り、日本へ運ぶ。そして2025年に、より大型化した実証プラントでの検証を始め、2030年の商用化を目指すという。
日本へ運んできた液化水素は、当面は火力発電所の燃料として使う考えだ。水素を直接、燃料として利用する発電機の開発も同時並行で進めている。将来は、水素を使う燃料電池車(FCV)や家庭用燃料電池「エネファーム」などへの供給を視野に入れる。同社は、ロケット燃料に使う液化水素用のタンクやローリーなどを20年来、手がけてきた実績もあり、水素インフラへは全方位で取り組む構えだ。
3・11が引き寄せる水素社会水素社会の到来が指摘されて久しいが、それでも水素は未来の技術であり、当面の選択肢には成り得ないという印象が大勢だろう。
ところが、原発の停止は水素社会へ向けた時間軸を短縮し始めている。川崎重工には3・11以降、行政や政治家からの問い合わせが殺到。「液化水素の商用化をもっと早く実現できないか」という要望が大半だ。
原発停止後の日本の天然ガス調達量は膨大だ。圧倒的な売り手市場であるがゆえに、価格も高止まりしている。新型天然ガス「シェールガス」を日本へ持ってくるといった調達先の多様化はもちろん必要だが、燃料の種類自体を増やすことも、日本の交渉力を強める効果がある。
水素の供給体制が整えば、水素を使うアプリケーションの普及スピードも飛躍的に早くなるはずだ。産業の裾野が広く、日本企業が優位な製品が多いのも見逃せないポイントだ。その代表格が、エネファームとFCVだろう。
東京ガスとパナソニックは1月17日、新型のエネファームを発表。投入したガスに含まれるエネルギーのうち、電力や熱として利用できた割合を示す総合効率は95.0%と、世界最高水準に到達した。燃料電池本体の技術進化にくわえ、部品点数を2割ほど減らすなどの工夫を重ね、現行品に比べて約75万円の値下げを実現。初めて200万円を下回る価格を設定した。新型機は年産1万5000台を目指すとしている。
パナソニックは、ドイツと英国に研究開発拠点を設立済み。ドイツのボイラーメーカーとも提携しており、海外進出に向けた準備を着々と重ねている。エネファームは、パナソニックらのほか、東芝や京セラなども開発を進める。家庭への燃料電池導入量で、日本は世界のトップを独走している状況だ。
FCVも日本の自動車メーカーが、並み居る競合に対して優位性がある。特に、「トヨタは世界トップクラスの完成度にある」(業界関係者)。
現在、自治体などがリースしているトヨタのFCVのコストは1億円を超えると言われる。それが、2015年にも発売となる量産型では1000万を切る水準にまで下がりそうだ。劇的なコスト削減を実現できるまで、技術は進化している。
トヨタらがFCV開発に本気なのも、3・11は無関係ではない。原発が生む夜間電力を使うのが前提だった電気自動車(EV)の戦略に、陰りが出てきた。余っている電力を有効活用する手段だったはずが、EVのために化石燃料を燃やして電力を供給するとなると、環境性能は当初想定より低下してしまう。
一時は次世代エコカーの本命はEVかと思われた。ところが、「原発事故以降はFCVの普及が当初想定よりも早まるのではないかという声も聞こえ始めた」(業界関係者)
さらにトヨタは、水素インフラでも新しい取り組みを始めている。「HyGrid(ハイグリッド)構想」と言われ、電力を水素に変えて貯める方法を指す。
ハイグリッド構想は、トヨタと川崎重工が水面下で検討してきた。国は2015年に向けて、4大都市圏で合計100カ所の水素ステーションを整備する方針を固めている。だが、それだけでは、FCVをプリウスのようなヒット車に育てるのは不十分。都市部に限らず、全国各地に水素インフラが必要だ。
そこで、2012年秋からアイシン精機の子会社でトヨタも出資するシンクタンク、テクノバ(東京都千代田区)が中心となってハイグリッドの事業化評価を始めた。
グリッドは電力網という意味。今後、風力や太陽光といった再生可能エネルギーが普及すると、発電量の変動が電力網へ影響を及ぼすようになる。一時的に増える電力を電池に貯めるアイデアが検討されているが、電池はコストが高い。電気事業連合会は、電池にまつわる追加費用は6兆円と弾く。そこで、電気を電池ではなく「水素」で貯めるハイグリッドの出番だ。
余った電力を使い、水を電気分解して水素を作り、その水素を液化してタンクに貯める。「電力を水素にして貯めればコストは劇的に安くなる。例えば、NAS電池と比べて10分の1で済みそうだ」(テクノバの丸田昭輝氏)。風力発電所に水素タンクを併設すれば、水素ステーションに早変わり。しかも、タンクに貯めた水素はローリーで運ぶことも容易だ。
トヨタは、ハイグリッド構想のほか、宮城県宮古市でバイオマスから水素を作るための実証にも加わる(関連記事「トヨタ燃料電池車が拓く復興」)。トヨタ技術統括部の三谷和久主幹は「水素インフラの構築は当社のFCVの普及を後押しするのはもちろん、日本のエネルギー状勢を好転させる効果も大きい」と指摘する。
3・11に端を発するエネルギー危機は、日本企業の背中を新しいステップへと押し上げている。その1つが水素であることは間違いないだろう。水素をめぐる技術開発は急ピッチで進んでおり、企業がリスクを取って実証を始める動きも増えてきた。数十年単位の時間を要する巨大システムの構築に、怯むこと無く挑戦することが、日本に新しい未来を導いてくれる気がしてならない。