(TPP 農業再生の条件)(上)脱「コメ神話」から未来像 :日本経済新聞
日米両国政府は日本の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加を巡る事前協議に入った。TPP参加は日本の成長戦略の柱となる。農業関係者には反対論が根強いが、自由化をバネに農業を成長産業に変える視点が求められる。
コメを守るだけでは農業は強くならない(昨年、東京都内)
コスト減に動く
山形県鶴岡市。1月末に若手農家75人が集まり、半日かけて議論をした。議題は「おいしいコメをいかに安く作るか」だ。
同市周辺の専業農家が集まって設立した「庄内こめ工房」。コメの生産コストを削減するためのグループ会社をつくった。現在のコストは1俵(60キログラム)あたり1万4000円。これを1万円以下に引き下げるのが目標だ。
三菱商事と提携して新技術を開発。今年は肥料をまく回数を減らす。これで500円削減できる。田んぼに種子を直接まき、田植えの手間も減らす。同工房のコメは減農薬のブランド米で高級品として人気が高い。それでも斎藤一志社長(55)は「外国産のコメに勝つには値段も引き下げないと」と話す。
農林水産省は「コメが完全自由化されれば、国内消費量800万トンの9割が輸入米に置き換わる」と主張する。だからTPPには反対との理屈が透けて見える。だがこれには2つのまやかしがある。一つは意欲のある国内コメ農家を考慮せず、外国産の実力を過大評価している点だ。
もちろん外食チェーンを中心に需要はある。大手コメ卸には「輸入米を使ってみたい」との問い合わせがある。日本はコメに高い関税をかける見返りとして、年間10万トンを限度に海外産の主食用コメを入札方式で輸入している。今年の外食向け卸価格は国産が60キログラム約1万5000円だが、外国産はおよそ1万3000円だ。
だが現状の海外産に日本の市場を席巻する力はない。大手コンビニエンスストアのローソンは「外国産米を使う検討はしていない」と明言する。消費者の国産米への信頼は根強い。しかも日本人が好む短粒種は米国の全生産量の1%。国内コメ卸は世界の市場で流通する規模は10万トン程度とみる。300万トン程度とされる外食や総菜の需要の一部を満たすにすぎない。
生産額の2割
もう一つのまやかしが「コメ=日本農業」との論法だ。「コメ自由化で日本の農業は壊滅する」。昨年10月、TPPに反対する農協などが都内で開いた決起集会では、与野党政治家らが気勢を上げた。農業の自由化を巡る議論はコメ問題で足踏みしてしまう。
実は日本の農業生産額の8割が畜産や野菜、果実。コメは2割にすぎない。それでもコメが常にクローズアップされるのは、コメ農家の数が生産額に比べて極めて多いためだ。コメ農家の数は全体の半分弱の116万戸。しかも、このうち94万戸が農業以外の所得の方が多い「兼業農家」だ。
民主党政権が打ち出した戸別所得補償は、規模にかかわらず補助金を支払う。4割が耕作面積が平均(2ヘクタール)以下の農家に回る。手厚い保護で温存された農家が自由化に反対し、数の力で政治に圧力をかける。政治はコメ農家の票を失うことを恐れ、コメを「聖域」扱いし続ける。
キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁・研究主幹(56)は「兼業のコメ農家を守る農政が、日本の農業の競争力強化の足を引っ張ってきた」と指摘する。
攻め込まれるだけではない。日本産のコメを台湾に輸出するデビッド・リン氏(62)は「日本のコメはもっと輸出できる」と話す。今の輸出は高級品を中心に年間100トン。若い農家の意欲を引き出すなどで価格を引き下げれば、東南アジアや米国にも輸出できるとみる。「コメ不可侵の神話」の前で立ちすくむのではなく、自由化を視野に入れて農業全体の将来像を描く必要がある。
(TPP 農業再生の条件)(中)眠る農地 いまこそ「解放」 :日本経済新聞
鹿児島県大隅半島。道の両側に2メートルを超す高さの雑草が生い茂っていた。単なる空き地ではない。農地でありながら人手が入らず、荒れ果てた耕作放棄地だ。
この奥に耕作放棄地が100メートル以上続く(鹿児島県東串良町)
同県肝付町の農業法人「えこふぁーむ」は、こうした耕作放棄地の再生に取り組んでいる。農作業をやめた農家から土地を借り、そこでルッコラなどの西洋野菜を生産する。9年間でようやく40ヘクタールの農地や山林を集めた。だが中村えいこ専務(53)は「貸してくれない農家も多い」と話す。
税優遇が妨げに
全国の耕作放棄地は合計40万ヘクタール。農地全体の1割弱の規模だ。農地の固定資産税は他用途に比べて低い。本来なら耕作をやめた時点で農地から「雑種地」などに土地の種類を変更し、固定資産税の評価額も変わる。だが耕作を放棄しているかどうかの判定は地元の農家らで構成する農業委員会に委ねられている。チェックは甘くなりがちだ。
政府が2011年10月にまとめた「農林漁業再生の基本方針」は、農家1戸当たりの耕作面積を10倍超に当たる20〜30ヘクタールに広げる方針を打ち出した。期間は5年。ほったらかしの農地を集めるのが近道だが、それすら思うように進まない。
農地は相続税や贈与税の支払いも猶予されている。もちろん農業を続けることが条件だ。だが他の農家に貸せば、その時点で猶予は打ち切りとなる。だから農地賃貸も広がらない。政府はようやく12年度の税制改正大綱で、農業目的で農地を貸し出せば優遇を続けるとの規定を盛り込んだ。
「農業を始めることがこんなに大変だったとは……」。元大阪府知事の太田房江さん(60)は振り返る。
工業用ガスのエア・ウォーターが北海道千歳市で09年に農業参入を計画し、太田さんは責任者を任された。運営母体となる農業生産法人を立ち上げようとしたが、高い壁に当たった。
農業と関係が薄い企業が農業法人に出資できるのは25%まで。残りは現地で農業に携わる個人などが出資しなければならず、しかも役員の過半数は農業に従事しなければならない。そこで部課長級の社員3人を半年超にわたって農園で実地研修を積ませた。自腹で1人125万円出資させて農業に従事する役員とし、何とか設立にこぎ着けた。
進まぬ企業参入
政府は09年に農地法を改正し、株式会社が農業に参入する際の要件を緩和した。昨年12月までの参入は677社。日本政策金融公庫の調べでは、参入企業51社の平均耕作面積は12ヘクタール。単純に掛け合わせると、新規参入企業の耕地面積は全体の0.2%弱だ。参入が増えているとはいえ、まだ規模は小さい。
農家の平均年齢は65.8歳に達し、担い手不足は日に日に深刻化している。企業が農業の一翼を担うのが一つの解決策だが、いまだに参入のハードルは高い。
問題は農地を誰が保有するかにこだわり、農地をどう利用するかという視点が欠けていることだ。根っこは第2次世界大戦後の「農地解放」に行き着く。
大地主の土地を分割し、農家500万戸弱に安く譲り渡した。1952年施行の農地法で「耕作者が農地を所有する」原則を打ち出し、土地売買などで農業委員会に強い権限を持たせた。地主の復活を防ぐ目的だが、農地の柔軟な活用の妨げともなっている。
政府は昨年、売却や賃貸を希望する農家の情報を集め、買い手が検索できる仲介システムの開発の検討を始めた。だが結果は早々と出た。「困難」だ。耕作を続ける意思がないと見なされれば、税制の優遇を受けられなくなる。農家は情報提供に後ろ向きだ。
「地価が高いが土地の所有に負担はほとんどかからない。高齢の兼業農家を離農させる対策があっていい」。半世紀前の1960年。農業基本法を制定するための会議で、一人の委員が述べた言葉だ。
がんじがらめの農地制度の下、農業は荒廃の道をたどってきた。農地解放の呪縛からの出口を探すべきだ。
(TPP 農業再生の条件)(下)農政 失った20年取り戻せ :日本経済新聞
浜松市の中心から北へ20キロメートル弱。農業生産法人のトップリバー(長野県御代田町)が昨年開いた農場で、若い社員がキャベツをてきぱき収穫する。「農業は高齢化し、担い手が足りないのでチャンスと思った」。浅田崇之さんは2年前に32歳で会社を辞め、農業の世界に入った。
生産法人が展開
農業生産法人で学び、独立を目指す(トップリバーの浜松農場)
浜松農場は長野が拠点のトップリバーが、初めて県外に出した生産基地だ。浅田さんは「3年したら独立したい」と話す。
日本の農業は深刻な担い手不足に直面している。原因は高齢化だけではない。新たな担い手の育成も滞っている。企業の手法を取り入れた農業生産法人が地域を離れて広域に展開し、若者の受け皿となって農業の裾野も広げる。
外食チェーンの関連会社、吉野家ファーム神奈川(横浜市)の耕地面積は1年で2倍弱の3.7ヘクタールに増えた。後継者のいない農家から「耕してほしい」との依頼も出始めた。冬に放置されていた田んぼを借りて野菜を作るなどし、地元農家からの理解を得た。
耕作放棄地は全国に広がっている。だが家業から発展した生産法人や農業に参入した企業などを通じ、集約の動きも少しずつ出始めている。
農協が中心の農産物流通にも風穴が開きつつある。一部農家は小売りや消費者などに農協より有利な条件で売り始めた。流通側から農家との連携を強める動きもある。
野菜宅配のらでぃっしゅぼーやはリース、種苗、肥料の有力会社とそれぞれ提携した。上場企業の信用力と規模を生かして機械や資材を安く調達し、2600軒の契約農家に提供する。消費者の需要を生産者に伝えることもできる。
高齢化し、多くの農地が見捨てられ、農協は農業の競争力を高めることができない。この3つの課題を乗り越えようと、新たな担い手たちが動き出した。日本の農政はこれを後押ししているだろうか。
経済協力開発機構(OECD)によると、2010年の農業生産に対する農業補助の比率は日本が5割で、欧州連合(EU)が2割。内外価格差も「補助」とみなした試算だが、日本の農業補助の水準は決して低くない。だがEUは農業先進地と称され、日本農業は危機が叫ばれる。
分かれ道は1992年にあった。ウルグアイ・ラウンドが大詰めを迎え、農産物貿易の自由化がテーマとなった。EUは公的機関が介入して作物の値段を下支えする仕組みを改め、農家に補助金を出して収入を補填する制度を作った。
農業保護には変わりはない。だが価格を市場に委ねることで、輸入農産物に対抗する力は強まった。ドイツの小麦販売価格は05年までに4割下がり、恩恵は消費者に及んだ。補助金を出す条件に土壌や水を汚さないことを加え、納税者の理解をえやすいようにした。
巨額の補助金
翻って日本。農林水産省も92年に「市場原理を導入し、競争を促す」と宣言した。だが実際にやったのは、6兆円に及ぶ農村のインフラ整備などだ。田畑の形や農道は整えたが、平均の耕地面積は今もフランスの20分の1以下にすぎない。
民主党政権はEUを見習い、農家に直接補助金を出す「戸別所得補償制度」を導入した。だが今も零細な兼業農家にばらまき続け、意欲ある生産者に絞って後押しする仕組みを作ろうとしない。
日本も農業にお金を投じてきた。問題は使い道だ。
環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加の是非に関係なく、日本の農業は衰退の危機にある。農家の延命だけでは将来は見えない。農政の停滞で失われた20年を取り戻すには、新たな担い手の声に耳を傾ける必要がある。
吉田忠則、瀬能繁、山腰克也、高田哲生、亀井勝司、杉原淳一が担当しました。