(新・エネルギー戦略)(中)「再生可能」の限界 認識を :日本経済新聞
石井彰 エネルギー・環境問題研究所代表
50年生まれ。上智大法卒。石油天然ガス・金属鉱物資源機構特別顧問
火力発電技術生かせ 電源の構成、市場原理で
<ポイント>
○原発再稼働問題は中長期の議論と切り離せ
○再生可能エネルギーは必ずしもエコでない
○エネルギー利用の「全体最適化」の議論重要
今春にも見込まれる原子力発電所の全面停止により、当面必要になる代替電源の相当部分をカタール産のスポット液化天然ガス(LNG)に頼らざるを得ない。元来LNGは中東湾岸依存度が低く、中長期的にはさらに同依存度は大幅低下することが確実だが、今夏にかけての突発的な需要増には供給余力のあるカタールを頼りにするしかない。
こうした一時的に余裕のない電源構成下で、夏の電力需要ピーク時にイラン問題がこじれて、万が一ホルムズ海峡封鎖の事態が発生した場合には、日本の多くの地域が停電に追い込まれかねない。
最近の原発再稼働を中心としたエネルギー論議は、中長期の問題と短期の問題を混同している感がある。脱/省原発か原発維持かという議論は本来、腰を据えて議論すべき中長期の問題である。一方、短期の定期点検後の原発再稼働問題は全く別に議論すべきであり、さもなくば今夏にも日本経済が崩壊しかねない。
中長期のエネルギー論議に関しては、いずれ風力・太陽光発電を中心とする再生可能エネルギーで発電やエネルギー全体の大半を賄うべきだとの意見も多い。しかしこうした意見が大勢を占めるのは、今回が初めてではない。
第1次石油危機後の1976年に、物理学者のエイモリー・ロビンズ氏は「ソフト・エネルギー・パス」という本を発表し、80年代にかけて一世を風靡した。それによれば、2010年ごろには、全エネルギー需要の7〜8割は再生可能エネルギーで賄えるとされていた。しかしこの見通しは全く実現しなかった。歴史と原理を軽んじ、深い洞察力を欠いていたからだろう。
将来の再生可能エネルギーの位置づけを考える際は、文明史的検証が不可欠である。「3・11」が文明史的転回点といいながら、現代文明のエネルギー面の基盤を理解していない議論があふれている。単純化すれば、再生可能エネルギーで大半を賄うということは、産業革命以前のエネルギー源で、革命後に人口が10倍以上、平均寿命が2倍になった高度な都市化社会を支えようとすることだ。産業革命以前にはエネルギー消費量のすべてを薪炭、水車・風車、牛馬を中心とする再生可能資源で賄っていたのを、現代は化石燃料を中心にエネルギー消費を40倍以上にすることにより暖衣飽食で清潔な社会を実現できたのだ。
この問題を考える際に基本となるのが、各エネルギー源の「エネルギー産出/投入比率」と「出力密度」である。産出/投入比率とは、各エネルギー源で1単位のエネルギー量を利用できるために何単位のエネルギー投入を必要とするかという効率指標だ。
この指標でみると、薪炭など産業革命以前の再生可能エネルギー源はわずか数倍である。革命を駆動した石炭は1桁上の数十倍、20世紀に入って利用が本格化した石油は100倍以上、その後継の天然ガスも同様だ。現在でも化石燃料の世界平均は40〜50倍程度ある。一方、一見高効率にみえる量子論を応用した太陽光発電は5〜7倍程度、風力発電も10倍前後にすぎない。
出力密度は地表面積あたりの出力であり、土地利用への負担、生態系への直接負荷を表す指標だ。地熱発電を例外として、再生可能エネルギーはエネルギー密度の低いフローの太陽光を直接・間接に利用するので、火力発電所や原発並みの大出力を得ようとすると、膨大な地表面積を占有せざるを得ず、温暖化ガスはほとんど出ないが、生態系に大きな直接的負担をかける。
例えばメガソーラー発電所は、出力密度が最も高い天然ガスのコンバインドサイクル発電所の2千分の1程度しかなく、生態系への直接負荷もその分圧倒的に高くなる。すなわち大規模利用すれば決してエコではない。再生可能エネルギー源である薪炭や牛馬を過度に利用した結果、森林破壊により崩壊した古代文明は、メソポタミアをはじめ歴史上枚挙にいとまがない。
従って利用可能量と生態系負担からみて、再生可能エネルギーの比率を一定以上に高くできる社会は、人口密度が低く土地が相対的に余っているところしかない。スウェーデン並みの人口密度(1平方キロメートルあたり20人)ならば、日本にある既存の再生可能な水力発電のみで総電力需要の150%を賄える計算になる。
しかし現実には、日本では過疎地はともかく都市圏では主力になり得ない。日本は水力発電が多いため、既に人口密度比の再生可能エネルギー導入では世界のトップクラスである。また不安定で稼働率が低い風力・太陽光発電を大量導入する場合は、バックアップなど供給安定のための膨大なコストも考慮に入れる必要がある。電源の中で風力比率を高くしたデンマークやドイツは欧州広域電力ネットワークに依存している。北欧の水力をバックアップとし、フランスの安い原発電力を輸入し、依然として石炭火力主軸でかつ電力価格も高い。
これまで再生可能エネルギーを積極導入していた欧州もユーロ危機で一転して、種々の補助金を縮小し始めた。かつての「ソフト・エネルギー・パス」と同様の議論をうのみにすべきではない。
また、再生可能エネルギーのコストが一方的に低下し続け、逆に化石燃料の価格が上昇し続けるとの想定も、70〜80年代の代替エネルギー開発の失敗と完全に相似形である。最近の「シェールガス革命」などにより、天然ガス、石炭などの化石燃料の資源量は今後数百年持つことが確実になり、採掘・利用技術も進化し続けることが確実だ。
仮に中長期的に脱/省原発政策をとるとしても、温暖化ガスの増加なしに原発を代替するには、再生可能エネルギー中心の電源の中だけの「部分最適化」だけではなく、エネルギー利用の「全体最適化」の議論が重要だ。天然ガスを利用したコージェネレーション(熱電併給)、燃料転換、最新型コンバインドサイクル発電による旧式石炭火力代替の方が、コスト・安定性・即効性・供給可能量のすべての面からみて現実的で優先度は高い(グラフ参照)。
また温暖化ガス問題はグローバルな問題なので、国内だけで解決しようとするのは元来不合理である。日本が持つ最高効率の石炭火力技術を排出量世界一の中国など新興国に供与することも有効だ。原発代替で実現する以上の温暖化ガス大幅削減には、いずれ再生可能エネルギーの積極導入も必要になる。その際には、生態系負担を含めた社会的コストや現代文明との整合性をよく勘案する必要があろう。
長期的な政策論の枠組みの留意点も指摘したい。「3・11」後の議論は、各エネルギー源の導入目標や補助金政策が主体で、裁量行政的発想が濃厚であり、経済合理性の観点からは随分と偏っている。本来は「3・11」を受けた安全・環境規制や安定供給にかかる規制の整備・向上と、温暖化ガス排出量の上限を割り振って過不足分を取引させる「キャップ・アンド・トレード」などの市場原理活用を原則にすべきだろう。供給安全保障には多様性こそが重要であり、自給自足や地産地消だけでは答えにならない。
他の分野に比べてエネルギー問題は巨大、長期、複雑であり、単純で拙速な方策は通用しない。様々なリスクや矛盾に対応したエネルギー源のポートフォリオ(構成)が重要だ。まずは天然ガスの有効利用を主とした省エネや、ある程度の再生可能エネルギーの導入が必要になるが、その際には安定性とコストの観点から間伐材利用や風力発電を優先すべきである。他方、石炭、原子力についても多様性確保やコストの観点から一定程度は残す必要がある。
それぞれの具体的な供給量は、政治が安全・環境・安定供給規制を整備したうえで、原則的に市場が決めるべきであり、政治的裁量で決めるべきではないだろう。